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あの人に迫る

藤原良雄 出版界の異端児 「藤原書店」社長

写真・隈崎稔樹

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◆版重ね生きる本、これからも世へ

 「硬い本」が売れない。もしくは売りにくい。そんな風潮にあらがうかのように、高価格少部数戦略を貫き、名をはせる人がいる。出版界の異端児、「藤原書店」社長の藤原良雄さん(70)だ。フランス文学を世界に広めたとして、昨年末には同国で最も権威のある学術団体アカデミー・フランセーズの文学賞を受賞した。藤原さんの言葉から先行き不安な社会を生きるヒントを探したい。

 −どんな学生時代を。

 大阪市立大に入学した一九六九(昭和四十四)年は、東京大の安田講堂に警視庁機動隊が突入するなど、学生運動のピークでした。授業が開かれなくてね。大学は自己教育の場だと考えていたので、ひたすら本を読んでいました。

 ゼミではマルクス原論を専攻しましたが、一方でマルクスの限界も感じていました。マルクスに代わる新しい社会を見る目が必要だと常々感じていました。

 被差別部落の子どもが四割いる中学校で、夜警(ガードマン)のアルバイトもしましたね。今思えば、この体験がぼくの考えの核になっています。その時、解放同盟の青年に言われたんです。「あなた方にできることは何もない。ただ、私たちの上に乗せている足をどけてくれ」って。

 支配者が歴史をつくるのではない。圧倒的な民衆が歴史をつくっているんだと痛感しました。差別をどう乗り越えていくのか。ぼくのテーマになりました。

 −その後、出版界に。

 決して編集者になりたかったわけじゃないんです。学問の延長戦でした。教授の紹介で、七三年に東京の「新評論」という出版社に入りました。上京後は、作家の野間宏さん(一五〜九一年)や社会学者の清水幾太郎さん(〇七〜八八年)、経済学史家の内田義彦さん(一三〜八九年)などに熱烈なラブレターを書いていましたね。みんな、喜んで会ってくれましたよ。

 そんな中で、立教大名誉教授の井上幸治さん(一〇〜八九年)に、マルクス主義との葛藤の中で二九年に生まれた「アナール学派」の存在を教わりました。これまで教わってきた歴史とは全く違う、地球を丸ごと捉える新しい歴史の見方でした。ああ…これならマルクスを乗り越えられる。そう直感しました。

 当時、新評論の編集長を務めていましたが、八〇年からは一貫してアナール学派の著作を和訳出版してきました。八九年に独立し、藤原書店を創業した後も、それは変わりません。歴史学をはじめ、文学、社会学、経済学、人類学など四百点を超えるフランス語の出版物を紹介してきたので、必然的にフランス関連の書籍が多くなりましたね。

 今回もフランスで最も権威のある十七世紀設立の学術団体アカデミー・フランセーズから、「フランス語フランス文学顕揚賞」をいただきました。大変光栄なお話ですが、フランス文化そのものを世界に紹介したい…という思いではなかったのです。

 −藤原書店はアナール学派の重要性を最も早く認識した。どの部分に共鳴を。

 アナール学派は、これまで授業で習ったように歴史上に起きた事件を政治、経済、社会史として描くだけではなかったのです。日常生活の断片や民衆の心理などにも介入して、世界に視野を広げて歴史を捉える手法です。

 例えば、香水や汚臭などのにおいから歴史の変容をひもといたり、死という概念の変化から歴史を見てゆくのです。

 ぼくは、民衆の暮らしの機微を描く方法に夢中になりました。日常の歴史のひだに分け入って、暮らしという「小」からその時代を理解していく。山や海といった生命の歴史というか、長期の時間の中で歴史を捉える手法にも驚きました。

 残念ながら現在の学問は、人文、社会、自然科学に大きく分けられ、その中でも細分化されています。学問は全てつながっているはずなのですが…。二十世紀は学問の細分化の時代だったと思っています。でも、今や全ての社会的事象は、全体を捉える目で見ないと、本当の意味では読み解けないはずでしょう。水俣病や東日本大震災が当てはまるように思います。これは、アナール学派に学んだ視点ですね。

 −藤原書店の書籍は硬派で、高価でもある。

 ぼくの口癖は、「良い本は読者の方が知っている」。中身さえしっかりしていれば、読者は必ずついてきてくれると思っています。新聞記事もそうではないのですか。藤原書店にしか出せない本を世に出す自負が、ぼくにはあります。

 歴史家フェルナン・ブローデルが十六〜十七世紀の世界を描いた「地中海」(全五巻)は評判になりました。一巻の定価は九千二百八十八円。「地中海」は当初十年かけて売る計画でしたが、三カ月で完売でした。

 大切にしたいのは、その書籍の価値に対する定価と部数の設定。出版社は、その全ての権限を持ちます。つまり、六千円で千五百部を売るか、千五百円で六千部売るか。その選択です。

 藤原書店は社員も十人ほどの出版社。大々的な広告は打てないし、営業マンもいない。結果的に、少部数高価格路線になりました。

 ぼくはね、ベストセラーは出版じゃないと思っているんです。ロングセラーこそが本当の出版。自分が世に出した本が版を重ね、本の命が生き続けていることに、いつも感動します。

 −活字メディアは今後、どうなるでしょう。

 出版界に未来はないなんて、全く思わない。ただ、若い編集者が育っていないということは、一番の危機かなとは思っています。

 どの時代においても、そんなにたやすい時代はなかったように思います。ぼくは四十歳で会社を立ち上げたけれど、それに比べて、今の三十代、四十代の方々はちょっと元気がなさ過ぎるのではないですか。

 マルクスが「資本論」の序の末尾で引用しています。「ここがロドスだ、ここで跳べ」って。まさにこの本をいくらで、どれぐらいの部数を作るか、「命懸けの飛躍」が待っています。

 はっきり言って、賭けです。ぼくが信じている社会において、この本が必要だっていう自らの洞察への賭け。それが出版者の醍醐味(だいごみ)だと思うのですが、モノを生み出す喜びにいまだ触れていないように思います。

 −まもなく平成が終わる。どんな時代だったか。

 昭和からのツケと、インターネットなどの技術革新が一挙に進み、おたおたしていた印象ですね。ツケというのは、太平洋戦争からの精神的な後遺症と経済的打撃。目に見えるものには自信があるように振る舞えますが、見えないものには極度に不安がっているように思いますね。

 安定と不安定、どちらの世界がいいですか。ぼくは、安定こそ疑いますよ。だって、基本的に命ってそもそも不安定でしょ。今日元気だからって、明日は分からない。そんなものなのに、必死に安定を求めている。何だか滑稽です。

 平成に入り、ヒューマニズム(人間中心主義)が加速しました。人間だけが安定を望んでいる。そのことへのひずみが自然災害にも表れているように思います。

 これからの人たちには、うわべだけでなく、現象の底に流れるもの、言ってみれば本質を見る目を養ってほしいです。そのためには本や新聞を読み、想像力を鍛えることが何よりの近道。ますます、活字メディアの出番だと思います。

 <ふじわら・よしお> 1949年生まれ、大阪府吹田市出身。大阪市立大卒。73年に新評論に入社し、80年に31歳で編集長。89年に藤原書店を創業した。92年に優れた編集者に贈る第1回「青い麦編集者賞」を受賞。97年にはフランス政府から芸術文化勲章シュバリエを授与された。2000年春に創業10年を記念し、学芸総合誌・季刊「環【歴史・環境・文明】」を発刊。社会学者の故・鶴見和子さんの著作集「曼荼羅」全集や水俣病関連の著作で知られる作家の故・石牟礼道子さんの全集なども出版。沖縄やアイヌ関連の出版事業も力を入れる。05年に元東京市長の功績を現代につなぐ「後藤新平の会」をつくるなど幅広い。これまで刊行した書籍は1300点以上。

◆あなたに伝えたい

 うわべだけでなく、現象の底に流れるもの、言ってみれば本質を見る目を養ってほしいです。そのためには本や新聞を読み、想像力を鍛えることが何よりの近道。

◆インタビューを終えて

 藤原さんは四年前、病気で足が腫れ、靴が履けなくなった。以後、作務衣(さむえ)姿が定番に。昨年末の厳粛なパリでの授賞式も、もちろん作務衣で乗り込んだ。

 取材で知り合い一年半。定期的に食事をする。すごみのある編集者の目になったかと思えば、本の価格の話題では大阪あきんどの顔にも変わる。目の前のことだけに追われがちな日常の中で、社会の底流を知りたいと思う本来の好奇心を呼び戻してくれる。

 結局のところ、世の中は優等生ではなく、異端児が動かすものなのだろうか。凜乎(りんこ)たる藤原さんの姿勢に、明日を開く一筋の光を感じている。元気がない、と言われないようにしたい。

 (木原育子)

 

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