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あの人に迫る

寺本英仁 島根・邑南町役場職員

写真・市川和宏

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◆田舎に誇り持ち 「食」と「農」で活気

 地方の過疎化が止まらない。しかし、定住促進プロジェクトで人口減少が緩やかになり、出生率は二・四六倍に改善して保育園はほぼ満員となり、さらには年間九十万人の観光客が訪れる町が島根県にある。高齢化率43%、山里でじり貧だった邑南(おおなん)町は「食」と「農」で生まれ変わった。立役者である邑南町役場職員の寺本英仁さん(47)に地方創生の極意を聞いた。

 −定住者を増やすために学校をつくりました。

 はじめにシェフやソムリエを全国公募で選び、イタリアンレストラン「AJIKURA」をつくりました。これが当たりました。東京で出張した時に訪れたレストランのシェフがとてもかっこよく、このような洗練された料理を町の人にも食べさせてあげたいと思ったのがきっかけです。

 「耕すシェフ」という料理人を目指すIターンの人向けの研修制度をつくったのですが、研修生から「ただレストランの労働力になっている今のままでは起業できない」と言われました。そこで邑南町の食文化を学ぶ「食の学校」と、もうかる農業を教える「農の学校」をつくりました。研修生だけでなく、町の人も学んでいます。

 −ゼロ円で起業ができる仕組みができました。

 「食の学校」と「農の学校」は町の人と研修生であるIターンの人との交流の場になり、良い関係が生まれました。「おいしいパンが食べたいな」「じゃあ私がやりましょうか」みたいな。金融機関の人も出入りしていたので、自然と事業計画書の作り方をレクチャーしたりして。いきなりIターンの人がお金を貸してと言っても貸してくれませんから。そのうち「今度店を閉めるのだけど、誰かやってみないか」と話が出たりします。町の人が少しずつ出資して合同会社をつくり、空き店舗を改装してオープン。Iターンの店主は家賃を払い料理を作る。ゼロ円起業の誕生です。

 −島根県と広島県の境目の盆地で育ちました。

 共働きの家に生まれました。保育園になじめず、農業の祖母に育てられました。甘やかされていたのか、四歳になっても服が一人で着られませんでした。小学生になっても名前が書けないくらいでした。のんびりしていたんだと思います。学校に慣れて遊びに夢中だった小学三年生の冬休み、足を引きずっているのに祖母が気がつきました。骨肉腫でしたが、早期発見で手術は成功しました。入院中は面倒を見てもらうので、大人の人や看護師さんの顔色を見るようになりました。遊んでくれていたお兄さんが間近で亡くなったり。これからの人生どう生きたらよいかと子供ながらに思いました。この入院生活の経験で感受性が強くなり、今の人生に生かされていると思います。

 −都会へのあこがれはありませんでしたか。

 田舎に住んでいると、情報源がテレビしかありません。祖母も照れ隠しなんでしょうけど「農業はねえ」と言っていました。環境を変えれば自分はもっとよくなるんじゃないかと高校は広島へ。満足できず、さらに都会へということで東京の大学に行きました。少しずつ都会へ進出です。東京に行ったら必ずやろうと思っていたのがスキューバダイビングです。アルバイトで稼いだお金で海に行く生活の繰り返し。四年になっても就職活動していませんでした。夏に地元に帰ったとき、祖母が「九月に公務員試験があるよ」と。

 −なんとなく公務員に。

 小さいときから祖母に「公務員は一生安泰」と言われて育ちました。祖母からすれば「してやったり」というところでしょうか。初めは農林課に配属されました。海から山の生活です。農林課で前に座っていた女性が「寺本さん」で、スキューバダイビングに誘いました。それが今の妻です。同じ名字同士の結婚でした。ダイビング仲間はそのうち十人くらいになりました。海から遠く、機材も高いのにです。「巻き込み力」というのがあるのかもしれませんね。

 −故郷が合併で消滅しました。

 そのころ、合併事務局で人口などの数字の調査をする仕事をしていました。子供が通う予定だった保育園や小学校が無くなるという、数字よりリアルな現実が目の前で起こりました。これは「ヤバイな」と。自分の仕事も安泰じゃないかも。これは仕事頑張らなければと思いました。

 −失敗もありました。

 町でイベントをやっても、売る人もお客さんも同じ町内の人なんです。これは意味ないなと。外で売るためにはどうするか、と考えたのがネットショップです。沖縄の海に行った時に泊まった離島の民宿がネットで通販をしていたのがヒントになりました。これなら山でもできると。初めは全く売れませんでした。繁盛するようになると、当時はカード決済ではなく、振替用紙を入れていたので、未収金が出てしまいました。電話をかけたり、お願いをしに行ったりしました。

 東京のホテルで邑南町の石見牛が評判になり、ホテルから「サーロイン二百頭分」の受注がありました。地元に帰ると「年間二百頭しか生産できない石見牛で、他の部位はどうするんだ!」と怒られました。自分は現場を知らないな、と思い牛を飼うことにしました。父も定年で退職していたので始めてみようと。今は二十頭くらいいます。

 −初めての著書「ビレッジプライド『0円起業』の町をつくった公務員の物語」を刊行しました。

 町内の人がパン屋さん用の小麦やそば店のそばなどを収穫し、年間一万円収入を増やして町内で消費してくれれば一億円になるんです。そうなれば二十代、三十代の若い人の仕事が三十人分できます。田舎なら三百万円あれば十分暮らせますから。若い人が稼ぐと税収も増えます。金融機関からお金も借ります。町内でいいお金の循環ができます。これからの地方創生は国や若い人に頼ることだけでなく、地方の高齢者が表に出て参画していくことが重要だと思います。

 出資者として合同会社に参加すると、新店オープンの時にはいろんな人に声をかけます。情報の伝達の速さ、正確さはツイッターより口コミです。オープン当日は大行列になります。レジが混んだり洗い物がたまったりすると手伝います。「出資者」は「広告宣伝」し、「労働力」となり、帰りには食事したりして「消費者」にもなります。四役をこなすんですね。参画意識が出てくるのです。

 ビレッジプライドとは地域に誇りを持つことがすごく大事で、持つことで楽しい人生が送れるんじゃないかなと。都会の人も同じです。いままでは「誇り」が「ホコリ」をかぶっていました。農家の誇りなど自信を持って伝えていけるように、気付いてもらえればうれしいです。

 本当においしいものは地方にあって、おいしいものを知っているのは地方の人間なのです。本場フランスのミシュランガイドの三つ星は日本の本と違い、地方の店が多いんです。タイヤメーカーですからドライブしてもらう必要がありますよね。今は選定地域ではないのですが、いつか邑南町の店からもミシュランに選ばれる日が来ると思っています。

 <てらもと・えいじ> 1971年島根県生まれ。大学卒業後、同県石見町役場(現・邑南町)に入庁。邑南町が掲げる「A級グルメ」の仕掛け人として、食の学校、耕すシェフの研修制度を手掛ける。2012年、総務省地域力創造アドバイザーに就任。16年、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演。スーパー公務員として紹介される。18年秋、思いを共有する四つの自治体と「にっぽんA級(永久)グルメのまち連合」を設立。趣味はスキューバダイビングと水中写真。著書の「ビレッジプライド『0円起業』の町をつくった公務員の物語」(ブックマン社)は尾崎行雄記念財団「咢堂(がくどう)ブックオブザイヤー2018」の地方部門で大賞に選ばれた。

◆あなたに伝えたい

 本当においしいものは地方にあって、おいしいものを知っているのは地方の人間なのです。

◆インタビューを終えて

 別の取材で島根県を訪れたとき、邑南町の「香木の森公園」で休憩した。平日というのに本格的なレストランやジェラート店などとてもにぎわっていた。邑南町はけして交通の便がいいわけではない。有名観光地もない。わざわざ邑南町の「農」の「食」体験に来ているのだ。そこで出会ったのがレストランを監修した寺本さんだった。

 名刺には「町役場」とある。日焼けした顔、念入りにセットした髪、着ているものも洗練されている。山里感ゼロ。初対面なのに仲間と話している感じ。「持ち帰って検討します」は言わない。「すぐやりましょう」が口癖。これが成功の秘密「巻き込み力」なのかもしれない。

 (須藤英治)

 

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