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あの人に迫る

村上敦司 キリンビールのホップ博士

写真・安江実

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◆感動を生む香り 謎だから面白い

 酒類製造大手キリンビールの主幹研究員として、ビール造りを先導する村上敦司さん(55)。自身の名を冠した国産ホップ「ムラカミセブン」は近年、他に類を見ない華やかな香りで高い評価を受け、世界で最も注目を集めるホップの一つだ。だが、ムラカミセブンは本来、日の目を見ぬまま、二十年前に処分されるはずだった。同社を代表するホップ博士に、幻のホップ誕生の経緯を尋ねた。

 −どんなホップなのでしょうか。

 まず、分かってほしいのは、私は自分の名前を付けるようなずうずうしい男じゃありません。元々は「江刺七号」という名前で、岩手県奥州市江刺区に借りていたホップ畑で、畝の七番目に植わっていたことから名付けました。あるとき、会社の人に試作品を飲ませたら、すごく良いからくれと言われ、しばらくしたら、発売が決まった。「名前どうしたの」と聞くと、「ムラカミセブンになりました」と言われたんです。

 イチジクやマスカットのような、フルーティーさをミックスしたような非常に特徴的な香りがします。私はヤマトナデシコと表現しているんですが、奥ゆかしいけれど、凜(りん)とした芯があるイメージです。

 世界には三百種ほどのホップがあり、栽培されているものは百品種くらい。約八十種類をビールにして飲みましたが、香りの質がどれとも違った。ホップは、国際競争力がないなら意味がない。同じような品種があるなら、コストの問題で、国産を使うより輸入した方が良いんです。

 −特別な成分があるのでしょうか。

 全く分かりません。ホップには名前のない、えたいの知れない化合物がいっぱい含まれていて、研究者たちを悩ませる。それらが独特な香りを演出していると思うのですが…。簡単じゃない。だからこそホップは面白いのです。

 −ムラカミセブンは本来、二十年前に廃棄されたはずだった。

 そもそも趣味の実験の材料だったんです。遺伝の仕組みを知りたいと思い、一九九一年に交配した二十個体の中から見つかった。人間も両親が一緒だけど、子どもの個性は違いますよね。それと同じで、ちょっとした違いがどんなふうに遺伝するか知りたかった。

 −会社は国産品種の開発をやめ、ホップを処分しようとしたそうですね。どういった背景が。

 当時、国産ホップは減る一方で、新品種の開発もあったもんじゃないという状態。新しい品種に入れ替えると、ホップが大人になるまでの間、農家は減収になります。当時は採算が合わないため国産ホップを増やそうという予算も出ませんでした。それどころか、国産は高いから減らしたいという感じでした。

 −そこで、処分されないように有望そうな二十株を移したんですね。

 研究の予算がつかなくなった二〇〇三年ごろ、元々あった約九百株から研究用に二十株選んで、岩手ホップ管理センターの畑にしれーっと植えちゃいました。「貴重なサンプルで、将来、私の研究材料にしたいので、大切に保管してください」と管理する農家さんに頼みました。会社には、研修や見学用のホップがあるとだけ言って。遺伝的にやっていくとこんな面白いものができると、若い社員がホップの性質を学ぶために使っていました。

 −なぜ復活できたのでしょうか。

 管理を頼んだ農家さんもだんだん、「村上さん、これ何になるの」と疑問に思うようになってきました。ここまでかなあと思っていたのですが、一〇年代になって、クラフトビールのブームがきました。クラフトビールのメーカーは、特徴的な新しい国産ホップを探し、キリンも求めだした。そこで「はい、ありますよ」と、とっておいたホップを出したんです。東日本大震災があった後で、故郷の岩手で被災した人たちの励みになればと思いました。

 −二十個体には、ほかにどんなホップがあったのでしょうか。

 遺伝の研究用だったので特徴的なものを残したのですが、汗臭くて、ぬれた傘をずっとしまい込んでいたような臭いのものや、アーモンドのような香りのものもありました。香りが良い物ももう一つ。江刺二号は、青リンゴのようなフレッシュな香りで、ビールになりつつあります。

 −他にも有望な国産品種が見つかる可能性も。

 会社は、この二十個体を元にして、増やしたらどうだと賛同してくれるようになりました。次の世代をまた何十株か用意しているので、十年先には有望なものが出るかもしれないですね。今は、ホップの良い部分だけを強調できる製法の開発に力を入れています。

 −最初はビール造りよりも基礎研究をやりたかったと。

 初めはお客さまよりも学会で認められて、学術的な評価を得たかった。それが、開発した「とれたてホップ一番搾り」が二〇〇四年に発売されたときに変わりました。山手線の中づり広告を見たサラリーマン風の人が部下に「おい、これ知ってるか。すっげー香りの良いビールだぞ」と薦めていた。自分のことのように紹介している姿に鳥肌が立っちゃった。「感動を生むことが俺の仕事なんだな」と、お客さまのことばかり考えるようになったんです。

 実は、このビールも遊びから生まれたんです。ある先輩が、「生のホップでビールを造ったらどうなるんだ」と言ってきたのがきっかけです。先入観として、青臭くて駄目だろうと思っていたのですが、あらびっくり。あまりにもおいしかった。

 だけど、生の原料を使うと調達や輸送の方法が変わり、手間の掛かる超プレミアムビールになってしまう。周囲から気は確かかとも言われたけど、飲ませるとやっぱりおいしくて、共感の輪が広がり、商品化に至った。当時、畑で採ったホップですぐに造るビールは、海外の自家消費用にはあったが、商業用としては一切、なかったはずです。

 −こんな経験できる人は少ない。

 研究者冥利(みょうり)に尽きます。単純なんです。私は純粋な好奇心があって、それがお客さまの笑顔になって返ってくるのがうれしい。それに運が味方してくれた。

 −国産ホップの評価をさらに高めたいと。

 現在、国産ホップの七割はキリンとの契約栽培です。国内の消費者に国産ホップの価値をもっと知ってもらい、ブランド化したい。けど、それはキリンだけではできない。他社にも手伝ってほしい。クラフトビールメーカーは、ライバルだけど、仲間でもある。ビールの品質をもっと上げてもらいたいし、ホップの使い方も上手になって、魅力的な商品をつくってほしい。

 −ホップとはどんな存在。

 人生の相棒のような感じです。近い将来に定年になり、岩手に戻るのですが、ホップに対して、ボランティアで何かしたい。ホップについて知りたい人が岩手に来てくれれば、全て包み隠さず教えるようなことも良いかなと考えています。

 国産ホップに限界は感じていません。まだまだいろんなビールができる。個性的なんだけど、一リットル飲んでも飽きない商品をつくりたいですね。

 <むらかみ・あつし> 1963年、岩手県紫波町出身。岩手大大学院農学研究科修了後、88年にキリンビール入社。植物開発研究所でホップの品種改良に従事し、東北地方の試験農場を飛び回り、栽培や育種の技術を磨く。96年に同社ビール醸造研究所(現酒類技術研究所)に異動。品種改良やビール造りの研究を経て、どんどんホップの魅力にのめり込み、2000年には「ホップの品質に関する遺伝学的研究」で、農学博士号を取得した。10年、ドイツホップ研究協会からアジアで唯一の技術アドバイザーに選出された。自身の名を冠したホップ「ムラカミセブン」を使ったビールは、17年に限定販売したところ好調で、株数を増やして本格醸造の準備を進めている。

◆あなたに伝えたい

 単純なんです。私は純粋な好奇心があって、それがお客さまの笑顔になって返ってくるのがうれしい。それに運が味方してくれた。

◆インタビューを終えて

 「なんの計画性もなかった」。批判めいた言葉が耳に残る。天寿を全うしたはずのホップが十五年後、いち研究者の機転でおいしいビールになったのだ。美談だが、会社は経営見通しを誤ったと言われても仕方ない。

 キリンの事例は日本の縮図と感じた。不景気の企業は、商品化まで時間が掛かる基礎研究の予算を削りたがる。国もそう。大学の研究費は頭打ちで、ノーベル賞受賞者が毎年、海外と差が広がると訴える。製品化前の技術や研究成果は「シーズ(種)」と呼ばれる。どの種がきれいな花を咲かすかは分からないが、種を生むことすら止めれば、残るのは荒野ばかりだ。

 (竹田弘毅)

 

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