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社説

小さな声を大きな力に 原爆忌に考える

 八月の広島には、海風がぴたりとやんで、暑さが一層際立つ時間が訪れます。夕凪(なぎ)です。木陰に逃れて耳を澄ませば、「小さな声」が聞こえてきます。

 広島電鉄の路面電車を降りたとたんに、豪雨のようなせみ時雨に見舞われました。

 原爆ドームの横を通って元安川の橋を渡り、慰霊碑の前で両手を合わせると、以前、広島平和記念資料館の音声ガイドで聞いた吉永小百合さん迫真のあの声が、耳によみがえってくるようでした。

 「熱いよ〜、熱いよ〜、おかあちゃん…」

 むろん三五度超の酷暑といえど、爆心地で四〇〇〇度にも達したという原子爆弾の業火とは、比べるべくもないのですが。

全世界の人に届けと

 資料館前の芝生広場はすでにテントで覆われて、平和記念式典の式場が整いつつありました。

 「この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して真実の平和を確立しよう。永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。ここに平和の塔の下、われらはかくの如(ごと)く平和を宣言する」

 一九四七年八月六日。第一回平和祭(平和記念式典)。当時の浜井信三広島市長が高らかに読み上げた、最初の平和宣言です。

 「平和都市ヒロシマ」のいしずえを築いた人といわれる浜井さんは、復興への軌跡を記した「原爆市長」という自著で、その時の心情を語っています。

 <いまここ広島の一角に発する声は小さくとも、どうか、全世界の人びとの耳にとどけと念じながら、この平和宣言を読みあげた>

 浜井さんの「小さな声」は戦後初の国際放送の波に乗り、米国にも届けられました。

 「広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願います」

 去年の平和記念式典で小学生二人が読み上げた恒例の「平和への誓い」。「私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります」と結ばれました。

 「小さな声」に耳を傾け、未来に向けて平和を誓う子どもたち。「原爆市長」の理想と信念は、脈々と息づいているようです。

 「原爆ドームから全力疾走で五十五秒のところ」に住むという詩人のアーサー・ビナードさんはこの春、新作紙芝居「ちっちゃいこえ」(童心社)を七年がかりで完成させました。

 被爆の実相を生々しく描いて名高い丸木位里、俊夫妻の連作絵画「原爆の図」を大胆に再構成して色彩などに工夫を加え、新しい物語に仕立て直した作品です。

「サイボウ」が主人公

 人体を構成するサイボウ(細胞)が、原爆の放射能にむしばまれ、息絶えるまでの物語。主人公はサイボウ、つまり命そのものです。

 もし サイボウの こえが

 ずっと きこえていたら

 ずんずん るんるん

 ずずずんずん るんるんるん

 きみは きっと いきていける んだ

 ビナードさんは、七年かけて考えました。

 「『原爆の図』は、『生命の図』だと思うんです」

 サイボウたちの「ちっちゃいこえ」は、私たち人間の内なる命の声。自らを傷つけ、滅ぼしてしまう原爆の理不尽さ、戦争の愚かさを、その持ち主に日々懸命に伝えようとしています。

 ね、きみの なかの

 ちっちゃい こえは

 きこえてる?

 四五年の今日、広島は快晴でした。三十五万都市の上空六百メートルで核分裂が起きた瞬間に、直下では、あらゆる命が死に絶えました。消滅したというべきか。

 爆心地の被爆体験を語れる命は、はじめから存在しない。それが「爆心の実相」です。

 しかし、例えばあの原爆ドーム。“骨と皮”だけにされてしまった無残な姿を、毎日毎日観光客の自撮りのレンズにさらし、必死で何かを訴えようとしています。

被爆の歴史を語る街

 夕凪の街で耳を澄ませば、比治山の背後の入道雲が、せみ時雨が、八月の太陽が、山川草木に宿る命の一つ一つが、石が、瓦礫(がれき)が、コンクリートが、「ちっちゃいこえ」で語りかけてくるはずです。

 世界中のだれもが、二度と過ちを繰り返してはならないと。

 私たちはヒロシマ、そしてナガサキで「ちっちゃいこえ」を拾い集めて、大きな声で伝えなければなりません。この世界から核兵器が消えてなくなる、その日まで。

 

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