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社説

再生の光、復権の風 3・11から8年

 国は福島県を「再生可能エネルギー先駆けの地」と位置付ける。でも、忘れないでほしい。太陽や風の電気には、脱原発の願いがこめられていることを。

 福島県飯舘村は、福島第一原発の三十キロ圏外にもかかわらず、あの日の風向きの影響で放射性物質が降り注ぎ、全村避難を余儀なくされた。おととし三月、避難指示は解除されたが、事故以前、約六千人いた村民は、一割しか戻っていない。

 高原の美しい風景が、都会の人に愛された。「までい」という土地の言葉に象徴される村人の生き方も。「丁寧、心がこもる、つつましさ」という意味だ。

 原発事故は「までい」な暮らしを引き裂いた。

自信と尊厳を取り戻す

 二〇一四年九月に設立された「飯舘電力」は、「までい」再生の象徴だ。村民出資の地域電力会社である。

 設立の理念は、こうだ。

 <『産業の創造』『村民の自立と再生』『自信と尊厳を取り戻すこと』をめざして飯舘村のあるべき未来を自らの手により造り成すものとする−>

 原発事故で不自然に傷つけられたふるさとの尊厳を、村に豊富な自然の力を借りて、取り戻そうというのである。

 現在、出力四九・五キロワットの低電圧太陽光発電所、計四十三基を保有する。年末には五十五基に増設する計画だ。

 当初は、採算性の高い千五百キロワットの大規模発電所(メガソーラー)を造ろうとした。

 ところが設立直後、東北電力送電網が一基五十キロワット以上の高圧電力の受け入れを制限することにしたために、方針を転換せざるを得なかった。

 三年目には、風力発電所を建設しようと考えた。

 やはり東北電力に「接続には送電網の増強が必要で、それには二十億円の“受益者負担”が発生する」と言われ、断念したという。

 「風車が回る風景を、地域再生のシンボルにしたかった…」

 飯舘電力創設者の一人で取締役の千葉訓道さんは、悔しがる。

 送電網が“壁”なのだ。

 送電線を保有する電力大手は、原発の再稼働や、建設中の原発の新規稼働も前提に、太陽光や風力など再生可能エネルギーの接続可能量を決めている。原発がいつ再稼働してもいいように、再エネの受け入れを絞り込み、場所を空けて待っている。「送電線は行列のできるガラガラのソバ屋さん」(安田陽・京都大特任教授)と言われるゆえんである。

原発いまだ特別待遇

 発電量が多すぎて送電網がパンクしそうになった時にも、国の定めた給電ルールでは、原発は最後に出力を制限される。

 あれから八年。原発はいまだ特別待遇なのである。

 電力自由化の流れの中で、二〇年、電力会社の発電部門と送配電部門が別会社に分けられる。しかし今のままでは一六年にひと足早く分離した東京電力がそうしたように、形式的に分かれただけで、同じ持ち株会社に両者がぶら下がり、「送電支配」を続けるだろう。大手による送電支配がある限り、再エネは伸び悩む。

 先月初め、「東京電力ホールディングス」が出資する「福島送電合同会社」が、経済産業省から送電事業の許可を受けた。「先駆けの地」の先行例として、福島県内でつくった再生エネの電力を、東電が分社化した子会社の「東京電力パワーグリッド」の送電線で、首都圏へ送り込む計画だ。

 大手による実質的な送電支配は変わっていない。

 「発電事業にも大企業の資本が入っており、私たちには、何のメリットもありません」と、千葉さんは突き放す。

 福島県の復興計画は「原子力に依存しない、持続的に発展可能な社会づくり」をうたっている。

 千葉さんは、しみじみ言った。

 「私たちがお日さまや風の力を借りて、こつこつ発電を続けていけば、いつかきっと原発のいらない社会ができるはず−」

再エネ優先の送電網を

 最悪の公害に引き裂かれたミナマタが、日本の「環境首都」をめざして再生を果たしたように、脱原発依存は、最悪の事故に見舞われたフクシマ再生の基本であり、風力や太陽光発電は、文字通り再生のシンボル、そして原動力、すなわちエネルギーではないのだろうか。脱原発こそ、福島復興や飯舘復権の原点なのだ。

 原発優先の国の姿勢は、福島再生と矛盾する。

 例えば飯舘電力などに、地域再生の活力を思う存分注ぎ込んでもらうべく、再エネ最優先の電力網を全国に張り巡らせる−。

 今「先駆け」として、やるべきことだ。

 

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