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西尾城など絵図4枚発見 藩士子孫が西尾市に寄託

藩士の屋敷なども記載された鳥羽城の絵図=西尾市文化振興課提供

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 幕末に西尾藩(西尾市の一部)を治めた大給松平(おぎゅうまつだいら)家にかかわる城絵図四点が、城の維持管理を担当した藩士の子孫宅から見つかった。鳥羽城(三重県鳥羽市)と淀城(京都市伏見区)の各一枚と西尾城二枚。鳥羽城絵図は藩士らの名前と屋敷の位置が記録されており、別の資料と照合することで、太平洋岸に大きな被害をもたらした一七〇七(宝永四)年の宝永地震による鳥羽市での津波浸水域を推定できる可能性がある。

 西尾市文化振興課によると、保管していた兵庫県尼崎市内の子孫が西尾市に資料を寄託した。四点のうち鳥羽城と淀城の絵図は新たに見つかった資料。西尾城の二点は、西尾市が既に所有する複写絵図の原典と分かった。いずれも大給松平家が藩主を務めた時期に作製されたとみられる。

 このうち鳥羽城の絵図は縦約一・二メートル、横約一・九メートル。天守や武家屋敷、城下町が色分けされ、港と思われる施設も記されている。

 大給松平家は宝永地震発生時を含む一六九一年から一七一〇年まで鳥羽藩主を務めた。この時期の藩の様子を記録した「松平乗邑家中日記覚(まつだいらのりさとかちゅうにっきおぼえ)」には、宝永地震で被害を受けた藩士の名前が載っており、鳥羽城絵図上の名前と照らし合わせると、被災区域が分かる。

 譜代大名の大給松平家は江戸時代を通じて国替えを繰り返し、延べ十一カ所の藩主を務めた。淀城の絵図には浮世絵の題材にもなった淀名物の「水車」も記録されている。

◆現代の防災に生かせる

 <三重県の城郭災害史研究者、盆野行輝さんの話> 鳥羽城絵図に記された名前を見ると、宝永地震以前に作製されたのはまちがいない。浸水域を推定できれば、現代の防災対策にも生かせる可能性がある。

 (宇佐美尚)

 

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