<記憶>(2)揖斐川・上善明寺の梵鐘 供出免れ響く平和の音

2020年8月5日 05時00分 (9月18日 15時29分更新) 会員限定
戦時中の供出を逃れて今も残る上善明寺の梵鐘=揖斐川町房島で

戦時中の供出を逃れて今も残る上善明寺の梵鐘=揖斐川町房島で

  • 戦時中の供出を逃れて今も残る上善明寺の梵鐘=揖斐川町房島で
 平安初期の八一二年創建の揖斐川町房島の古刹(こさつ)、上善明寺。青銅製の梵鐘(ぼんしょう)(高さ一・四メートル、底部の直径〇・七メートル)は、江戸初期の一六三〇(寛永七)年に造られたと伝えられ、今も周辺の集落に寺の営みを知らせている。
 戦時中、武器生産のための金属製品の供出を命じた金属類回収令。寺院にあった仏具も例外ではなく、上善明寺でも、火災を知らせる半鐘や銅像など、ほぼ全ての金属製品が運び出された。だが、鋳造から三百年以上が過ぎていた梵鐘は唯一、歴史的な価値を認められ難を逃れた。全国の梵鐘の九割が失われたといわれる中でのことだった。
 揖斐地方一帯の寺は名古屋からの学童疎開先となり、上善明寺では終戦前後に六十人の女子児童を受け入れた。前住職の広瀬寿宣(じゅせん)さん(79)は、当時四、五歳。栄養補給にと疎開児童らに配られた肝油ドロップを学校の先生に分けてもらい、当時は貴重だった甘みのある味をかみしめたことを今も覚えている。
 やがて寺を継ぎ、戦地に散った人たちの在りし日の思い出や人柄を遺族から聞くようになった。そんな経験からも「戦争は人の命を軽んじることだ」と戒める。
 梵鐘は今、勤行...

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