星野監督に辞表をたたきつけた男がいた「おれの言うことが聞けんというのか」「聞けません」…稲葉光雄さんの育成哲学【増田護コラム】

2020年8月3日 13時06分

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3年ぶりに中日に誕生した20勝投手の稲葉光雄(左)と抑えの切り札星野仙一。投の両輪として働いた=1972年9月

3年ぶりに中日に誕生した20勝投手の稲葉光雄(左)と抑えの切り札星野仙一。投の両輪として働いた=1972年9月

  • 3年ぶりに中日に誕生した20勝投手の稲葉光雄(左)と抑えの切り札星野仙一。投の両輪として働いた=1972年9月
 まもなく命日である。中日の2軍投手コーチだった稲葉光雄さん。2012年8月11日、ナゴヤ球場でのウエスタン・リーグの試合中に脳内出血で倒れ、その夜亡くなった。まだ63歳だった。
 その稲葉さん。1997年のシーズン終盤、中日の星野仙一監督とやり合ったことがある。当時稲葉さんは2軍コーチ、星野さんはアメとムチを使い分ける血気盛んなころで、どう若手を育てるか一計を案じた。2軍の選手に、ナゴヤドームのコンコースを掃除させるプランだった。
 屈辱的だが嫌だったら早く1軍に行け、というメッセージで、実際、それが実行された。付き添った稲葉さんはその足で監督室に星野さんを訪ねた。こういうやりとりがあったそうだ。
 稲葉「監督、今回だけにしてください。選手たちは好きで2軍にいるわけではありません。故障者もいます」
 星野「おれの言うことが聞けんというのか」
 稲葉「聞けません」
 星野「じゃあ、ユニフォームを脱ぐか」
 稲葉「はい、脱ぎます」
 こうして稲葉さんは、シーズン限りで退団。それと引き換えに掃除は中止となった。
 星野さんも立場上、引くに引けなかったのだろうが、まるで劇画の世界だ。そんな真相を聞いたのは2001年のオフ。「ちょっと相談がある」。日本ハムのコーチになっていた稲葉さんから声がかかった。今度名古屋に帰り、野球解説に加えて講演活動もするのでアドバイスがほしい、とのこと。提案したテーマは「人を育てる」。迷える多くの中間管理職に響く、と考えた。もちろん軸はドーム掃除のエピソード。そのとき、ウワサでしか知らなかった監督室でのやりとりを聞いた。
 「その講演プランで行くよ。若い人を育てるのが好きだからね。でもボクと星野さんは似ているんだ。現役時代はともに闘志むきだしで投げるタイプだった」と稲葉さんは言った。星野さんが2学年上だったが、コーチになってからは1軍から選手昇格の打診が来ても「今はそのタイミングではありません」と断ったことも何度かあった。
 1987年8月、近藤真一がデビュー戦でノーヒットノーランを達成した。自信を持って送り出した稲葉さん。絶妙のタイミングで使った星野さん。奇跡のドラマは、方向性は違っても情熱を持った2人の結晶でもあった。
 今、中日には根尾、石川昂をはじめ、あすを担う戦力がごろごろしている。現場もフロントも、愛情と信念、何より責任感を持って育ててほしい。あの日、辞表をたたきつけた稲葉さんに恥じないよう。

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