引退撤回、恩返しV 照ノ富士、師匠とけが克服

2020年8月3日 05時00分 (8月3日 05時01分更新) 会員限定
殊勲賞の記念撮影で、優勝した照ノ富士(中)が御嶽海(左)と大栄翔の腕を組み、笑顔で健闘をたたえ合った=2日、東京・両国国技館で(代表撮影)

殊勲賞の記念撮影で、優勝した照ノ富士(中)が御嶽海(左)と大栄翔の腕を組み、笑顔で健闘をたたえ合った=2日、東京・両国国技館で(代表撮影)

  • 殊勲賞の記念撮影で、優勝した照ノ富士(中)が御嶽海(左)と大栄翔の腕を組み、笑顔で健闘をたたえ合った=2日、東京・両国国技館で(代表撮影)
 歴史に残る復活を遂げた。大相撲七月場所千秋楽で元大関の東前頭十七枚目照ノ富士(28)が五年ぶりの優勝を飾った。けがや病気に苦しみ大関から陥落。引退を口にした弟子を諭した伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)とつかんだ賜杯だった。
 天皇賜杯に続いて受け取った優勝旗は師匠から手渡された。大関から序二段まで番付を下げ、どん底から幕内最高優勝にたどり着いた。照ノ富士は「最後にこうやって笑える日が来ると信じてやってきた」と喜びをかみしめた。
 デビューから順調に出世し、関脇だった二〇一五年夏場所で初優勝。場所後に平成生まれで初の大関となった。ところが、一九二センチの体格から力任せの取り口が災いして両膝や肘を痛め、糖尿病、肝炎なども患った。引退の意思を何度も師匠に告げた。
 そのたびに、伊勢ケ浜親方は踏みとどまらせた。「後悔させないように。けがを克服してやることをやって、本人も納得できると思った」。照ノ富士は体さえ治れば戦えると自らに言い聞かせ、病院に通い、リハビリに励んだ。
 体が動くようになると、「一カ月、二カ月で体が変わっていくから楽しい」と...

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