首里城地下、負の遺産 沖縄戦司令部壕を報道公開

2020年8月3日 05時00分 (8月3日 05時01分更新) 会員限定
報道公開された旧日本軍第32軍司令部壕の第5坑道=6月30日、那覇市で

報道公開された旧日本軍第32軍司令部壕の第5坑道=6月30日、那覇市で

  • 報道公開された旧日本軍第32軍司令部壕の第5坑道=6月30日、那覇市で
 那覇市の首里城の地下にあり、一九四五年の沖縄戦で軍事的中枢だった旧日本軍第三二軍司令部壕(ごう)の一部が報道公開された。二〇〇九年以来で十一年ぶり。崩落の危険から一般公開されていないが、昨年十月末の首里城火災を契機に「負の遺産として継承すべきだ」と保存と公開を求める声が高まっている。管理する沖縄県は本年度内に検討委員会を立ち上げる方針。
 五つある坑道のうち、坑口が唯一確認でき、壕南部に位置する第五坑道の代表取材が六月三十日にあった。映像や県などによると、内部の高さと幅はいずれも約二メートルで、年間を通じて気温は二三度、湿度はほぼ100%。地面に水がたまり、天井や壁には、崩落を防ぐため戦後に設置された鉄製の構造物「支保工(しほこう)」が並ぶ。
 掘削時に土砂の運搬に使ったとみられるトロッコのレールの枕木も残る。坑口から約百五十メートル付近は旧日本軍が撤退時に爆破した影響で天井が崩壊。岩盤や土砂で埋まり、奥には進めなくなっている。
 壕の掘削は一九四四年十二月に始まり、地元の学生や住民も動員された。地下約十〜三十五メートルで総延長は一キロを超え...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

関連キーワード

PR情報