日露戦争 生々しく後世に 美濃・善光寺の英霊供養堂修復

2020年8月2日 05時00分 (8月2日 10時41分更新) 会員限定
りりしい表情で英霊供養堂に整列する人形たち=美濃市泉町の小倉山善光寺で

りりしい表情で英霊供養堂に整列する人形たち=美濃市泉町の小倉山善光寺で

  • りりしい表情で英霊供養堂に整列する人形たち=美濃市泉町の小倉山善光寺で
  • 修復した英霊供養堂の前で人形の説明をする秋山さん=美濃市泉町の小倉山善光寺で
 美濃市泉町の小倉山善光寺境内にある「英霊供養堂」が、四月ごろ修復された。日露戦争に出征し、戦死した市内外の兵士を悼んで作られた英霊人形を祭る。一部劣化していた英霊堂が元の姿に近づき、戦争を生々しく後世へと伝え続ける。 (森健人)
 英霊堂は本堂の西にあり、中に英霊人形九十五体が祭られている。木像で高さ六十センチほど。りりしい表情を浮かべながら銃を持つ兵士や、馬に乗る騎兵の姿を表現している。「美濃市史・通史編下巻」によると、人形が亡くなった息子にあまりにも似ていて抱きしめた母親がいたというほど、精巧にできている。足元には法名や所属部隊、兵種、階級、氏名、出身地が書かれ、生い立ちが分かる。
 人形研究家の千田靖子さんが英霊人形について記した日本人形玩具学会の学会誌「人形玩具研究」によると、上有知(こうづち)町(旧美濃町)の有志が作り、一九〇七年(明治四十年)に「忠魂記念堂」を建てて安置した。しかし、太平洋戦争終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が軍事関係のものを次々と破棄し、英霊人形も対象に。忠魂記念堂も破壊を命じられた。
 それでも関係者が骨を折...

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