中日春秋

2020年8月1日 05時00分 (8月1日 05時02分更新)
 解説書を手に挑戦した覚えがあるが、難しかったこと以外に思い出せない。西田幾多郎の哲学は、日本の思想の中でも難解な部類に属しているだろう。台湾の李登輝元総統はこれに心酔し、深く理解していただけではない。政治家として出処進退が問われる場面で西田哲学をよりどころにしたのだと語っている
▼<松島や光と影の眩(まぶ)しかり>。十年あまり前、松尾芭蕉ゆかりの松島を訪ねた際の句である。芭蕉が松島で句作していないことに触れて、「私は詠んだ」と周囲を笑わせていた。しみこんだ日本の思想や詩情は日本びいきの域をはるかに超えている。日本人以上とも思わせた人だ
▼日本の統治下に生まれ、日本の教育を受けて育った。戦後、台湾の民主化に尽くすことになるが、新渡戸稲造の『武士道』の精神や夏目漱石の「則天去私」の思想などが血肉として生きたと語っている
▼明治、大正生まれの日本のエリートとはこのようであったかとも思わせた。最後のエリートであったかもしれない。九十七歳で、亡くなった
▼中心地から遠く離れた場所で、文化は生き残ることがあるだろう。戦前の日本の価値に対して、否定や批判の波が及ばなかった台湾から、日本をずっと見詰めてきた
▼何を捨て、何を変えてきたのか。戦後の日本にとっては、鏡のように思えた人でもある。喪失の思いは、台湾だけではないだろう。

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