【弘田三枝子さんを悼む】洋楽カバーでは”本家超え”の歌声…パンチの効いた”うなり”も独特で唯一無二の魅力を放っていた

2020年7月27日 18時33分

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弘田三枝子さん

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 歌手の弘田三枝子(ひろた・みえこ、本名・竹永三枝子)さんが21日に心不全のため、急逝したことを27日、所属事務所が発表した。73歳。東京都出身。大ヒット曲「人形の家」はミリオンセラーを記録、日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。
 所属事務所によると、弘田さんは20日、千葉県内の自宅で倒れ、病院へ搬送されたが、21日午後10時31分、死去した。倒れる前日までは何ら変わりなく元気だったという。親族・関係者により26日に密葬が執り行われた。
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 結果的に最後のシングルになった2015年発売の「悲しい恋をしてきたの」のレコーディングを取材した時、弘田三枝子さんは、元気いっぱいだった。カップリングのスローテンポな曲「ひいふうみいよう」には、さまざまな経験を経てきた女性の慈しみが込められていて、心に染みる作品に仕上がった。
 多くの人にとって弘田さんと言えば、ブランクから復活した時のヒット曲「人形の家」とダイエットで知られていると思う。が、デビュー当時に歌っていた洋楽のカバー曲の歌いっぷりは、天性の歌のうまさを発揮して、大きなインパクトを残した。
 1965年には、日本人歌手で初めて米国のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。ビリー・テイラー、トニー・スコットという一流演奏家をバックに披露した歌声は、現地の音楽誌で高く評価された。
 パンチの効いた“うなり”も独特で、後に都はるみが「マネしたいと思った」と語っている。
 コロムビア時代には、美空ひばりさんにかわいがられ、他人にめったに詞を書かないひばりさんが、「夢見る乙女」を提供して周囲を驚かせた。
 日本のポピュラー史にも詳しかったミュージシャンの故・大瀧詠一さんは、「歌声にオリジナリティーがあったという希有な例」とし、「美空ひばりや三波春夫のオリジナリティーに匹敵する」とも。そして、「ヴァケーション」のコニー・フランシス、「子供ぢゃないの」のヘレン・シャピロというオリジナルに「勝っちゃった」と最大限の賛辞を送っている。
 また、売り出し中だった作曲家・筒美京平さんの最初のヒット曲「渚のうわさ」を歌ったのが弘田さんだった。洋楽ノリの分かりやすくてしゃれたメロディーを弘田さんの力強くも軽やかな歌い方で、筒美時代の幕開けを飾った。
 サザンオールスターズの桑田佳祐(64)も弘田さんに魅せられ、「MICO」を作詞作曲(83年のアルバム「綺麗」収録)。「ふりしぼるような歌い方」「お前がいなけりゃ 俺 今さら歌などない」と歌い込んだ。これに感激した弘田さんは、同年「MICO」名義で、アンサーソング「O―KAY」を出した。
 晩年は、「銀座スウィング」などでジャズを歌っていた弘田さん。ジャズバージョンの「人形の家」は絶品で、経験を積み上げたボーカルは、唯一無二の魅力を放っていた。まだまだ聴かせてほしかった。合掌。(本庄雅之)
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