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「人形の家」ミリオン歌手の弘田三枝子さん急死 自宅で倒れる 桑田佳祐、山下達郎ら多くのミュージシャンに影響

2020年7月27日 16時25分

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弘田三枝子さん

弘田三枝子さん

 歌手の弘田三枝子(ひろた・みえこ、本名・竹永三枝子)さんが21日に心不全のため、急逝したことを27日、所属事務所が発表した。73歳。東京都出身。大ヒット曲「人形の家」はミリオンセラーを記録、日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。
 所属事務所によると、弘田さんは20日、千葉県内の自宅で倒れ、病院へ搬送されたが、21日午後10時31分、死去した。倒れる前日までは何ら変わりなく元気だったという。親族・関係者により26日に密葬が執り行われた。現在のコロナ禍を考慮し、お別れの会などの予定は検討中。弘田さんは6月15日、ユーチューブの「日本歌手協会チャンネル」の「コロナに負けるな リレー歌謡祭第46弾」に電話で「早く皆さんに会いたいです」とコメントを寄せたのが最後の肉声になった。
 小学生時代から米軍キャンプで歌い始め、1961(昭和36)年11月、14歳で「子どもぢゃないの/悲しき片想い」でデビュー。その後も「ヴァケーション」「すてきな16才」「砂に消えた涙」などアメリカンポップスのカバー曲を次々にリリースし、ヒットを重ねた。
 人気は急上昇し、「パンチのミコちゃん」と称され、テレビ番組のレギュラーは週に10本以上を数え、国民的スターに。65年には日本人歌手として初の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出演した。
 69年にイメージチェンジを図った「人形の家」が大ヒットし、多くのミュージシャンに影響を与え、桑田佳祐は83年のサザンオールスターズのアルバム「綺麗」に弘田さんをテーマに「MICO」を収録、同年にアンサーソングとして「O・KAY」をリリースした。ほかにも大滝詠一さん、山下達郎、竹内まりやら、弘田さんをリスペクトするアーティストは多い。
 今年はレコードデビュー60周年イヤーとあった記念曲制作や記念コンサートを企画していたが、コロナ禍により「来年に持ち越しね!」と話し合っていたという。ラストシングルは55周年記念曲として発売された「悲しい恋をしてきたの/ひいふうみいよう」(15年)、ラストアルバムは昨年発売の「ゴールデンベスト」となった。
 また弘田さんは自身の経験をつづった先駆的ダイエット本「ミコのカロリーブック」が150万部を記録するベストセラーになったことでも知られる。

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