ハンドボール日本代表3選手が“三十路の挑戦” 今季参入『ジークスター東京』強豪チームから移籍

2020年7月24日 23時18分

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 来夏開催の東京五輪で1988年ソウル大会以来の五輪出場となるハンドボール男子の日本代表。長年、その主要メンバーとして活躍してきた3選手が、日本リーグ(8月29日開幕)に今季から新たに参入するジークスター東京に強豪チームから移籍した。五輪本番1年前に、30歳を超えての新たな挑戦。それぞれの胸中に迫る。

小学2年の娘に泣かれた信太弘樹「厳しい環境の中で…」


信太弘樹


 日本の点取り屋、左バックの信太(しだ)弘樹(31)が移籍を決断したのは東京五輪の延期が決まった直後。「自らの競技人生の集大成に」と夢見た舞台が急に遠ざかり、モチベーションが上がらず悩んでいた時に移籍を持ち掛けられた。
 「厳しい環境の中でチャレンジして、自分が1年後のオリンピックの舞台でどう成長しているか。それがすごく楽しみに思えた」
 人口の集中する東京に本拠地を置く唯一のトップチーム。競技のメジャー化を望む信太にとって魅力的な誘いだった。「東京の地にチームができたというのがすごく魅力的で。そのチームが強くなる歴史をつくる。その最初のメンバーになれるのが、すごくいいなと」。大学卒業後から在籍し、何度も日本一を経験した大崎電気(埼玉)を離れた。
 家族に決断を告げると、小学2年の娘に泣かれた。「大崎の選手と仲良く遊んでいたんで。それができなくなるっていうのが寂しかったみたいで…」。子どもたちのことも考え、転居はせず埼玉県内から車で1時間以上かけて練習に参加する。
 若いチームメートと練習する中で心境の変化もあった。東京五輪で代表引退をすると決めていたが「『代表に呼ばれている間は代表活動に参加したいな』という気持ちに変わっていて。強くなくて知名度もまだないチームで、代表選手がいることは大きいし、経験を若い子たちに伝えられるので」。持てる全てを注いで新たな歴史を刻む。

最強ゴールキーパー甲斐昭人「生活の全てを懸けて」


甲斐昭人


 日本リーグ史上最多となる6度のシュート阻止率トップをたたき出した、最強のゴールキーパー甲斐昭人(33)。前所属先のトヨタ車体(愛知)では社員として勤めながらプレーしていたが、プロ選手として再出発を決めた。
 「ハンドボールにもっと向き合って、生活の全てを懸けてやっていきたい」
 東京五輪1年延期のニュースを聞き、一度は引退も考えた。それがトヨタ車体でともにプレーした横地康介監督(41)に直接誘われ、より競技に向き合いたいという気持ちに変わった。3歳の娘もいるが、妻には「何をしてでもちゃんと子供は育てていく」と宣言。社業に専念するという引退後の安定したキャリアも捨てた。
 競技を始めた小学生のことから五輪出場を目指していた。「その夢をかなえるまでは頑張りたいですね」。背水の陣を敷いたシーズンが始まる。

東長浜秀希「どこのチームよりも伸びしろがある」


東長浜秀希


 信太とともに大崎電気からは、右バックの東長浜秀希(ほずき、32)も入団した。
 「10年大崎でやってきて『あと何年競技できるか分からない』ってなってきた。できるときに新しいチャレンジしたいな、と思って」
 企業チーム中心のハンドボール界では移籍自体が珍しい。そんな概念も変えてみたかった。
 「ハンドボールがもっとメジャーに有名になるには、いろんなチャレンジをする選手が出てきてくれた方がいい」
 トップチームで得た経験をフル活用するつもりだ。「10年プレーしてきて、それなりの経験も積んだ。チームで若い子たちと(その経験を)共有することができれば、このチームはもう、どこのチームよりも伸びしろがあると思う」。新天地での挑戦に目を輝かせた。
◆ハンドボール日本代表の五輪成績 男子は1972年ミュンヘン大会から5大会連続で出場権を獲得し、88年ソウル大会が最後の出場(80年モスクワ大会は日本不参加)。宮崎大輔(現日体大)を擁して臨んだ北京大会アジア予選(2007年)は、中東勢有利の判定となる「中東の笛」でやり直し(08年)となり注目された。女子は初採用された76年モントリオール大会のみ出場。最高成績はともに同大会の男子9位、女子5位。

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