<EYES> 教育哲学者 苫野一徳さん 教育行政は柔軟さを

2020年7月23日 05時00分 (7月23日 11時28分更新)
 今回の新型コロナの問題を通して、あらためて日本の学校教育界の横並び主義や機動力のなさを、骨身に染みて感じている。誰かを責めるのではなく、どうすれば変われるか、考え合いたい。
 文部科学省はこの間、例えばオンライン授業について臨機応変に取り組んでほしいと発信してきた。「インターネット環境やデバイスをみんなにそろえられないからやらない」のではなく、家庭のものなど使えるものは使おうと通知した。
 それだけではない。学校教育法施行規則に定められている標準授業時数も、必ずしも死守する必要はない、学習指導要領も、翌年以降に回すことを認めるなど、きわめて柔軟な通知まで出した。
 しかし今回、少なくない教育委員会や管理職が、各学校現場や教員に、そうした柔軟な対応を許さなかった。例えば、オンライン授業ができる/できた先生がいても、他の学校ではできないからといってやめさせる。時数を確保するため、夏休みを大幅短縮し、7時間授業や土曜授業をどしどし実施する。
 むろん、よかれと思ってのことだろう。しかしそれが本当に「よい」のか、より「よい」方法はないのか、もっと考えることはできたのではないか。
 私は熊本市の教育委員を拝命しているが、今回、オンライン授業の充実をはじめ、柔軟でクリエーティブな教育行政のあり方が大きな注目を集めた。熊本市にできて、他の自治体にできない理由はない。何がその条件だったのか。十分に明らかにして、広く伝えたいと考えている。
 私は公教育の可能性を信じている。すべての子どもの教育の保障は、結局のところ、公教育のシステムにしかできないことだ。その担い手としての志を、全国の教委、学校、そして先生方と共有したい。

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