本心<311>

2020年7月23日 05時00分 (7月27日 00時01分更新)
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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第九章 本心

 そして、彼は自分の犯行を反省しているのだろうかという疑問を抱いた。僕は彼が、最後には、倫理的な葛藤の末に、暗殺を思い止(とど)まったという一点に於(お)いて、友情を維持するつもりだった。しかし、「間違ってたと思うか?」というのは、僕の理解とは逆に、暗殺計画自体のことではなく、それを踏み止まったことを言っているのだろうか。つまり、テロは実行すべきだった、と。
 彼はそして、やはり、 V F (ヴァーチャル・フィギュア)の“指導者”に、ただ欺(だま)されていたのではなかったのだろうと、僕は感じた。
 僕は、不穏な動揺に見舞われたまま、立ち上がりながら、
「刑務所に行っても、また、面会に来るから。」
 とだけ告げた。しかし、岸谷は、
「ああ、……けど、もう十分だよ。ありがとう。お前はやっぱり、俺とはもう、関わらない方がいいよ。……ちょっと、違う気がする。」
 と言い残して、振り切るような態度で、係員と一緒に退室してしまった。
 僕は、彼の犯罪者然とした態度に遠い隔たりを感じた。それでも、彼こそやはり、「いいヤツ」なんじゃないかという思いを捨てきれなかった。
 小菅をあとにしてからも、僕は電車に揺られながら、岸谷とのやりとりのことを考えていた。
 「俺は、今でもおかしいと思ってるよ、今の世の中。……同じ人間として生まれてるのに、こんなに格差があっていいはずない。」というのは、まったくその通りだった。
 僕は、母の心を、飽(あ)くまで母のものとして理解したかった。すっかりわかったなどと言うのは、死んでもう、声を発することが出来なくなってしまった母の口を、二度、塞(ふさ)ぐのと同じだった。僕は、母が今も生きているのと同様に、いつでもその反論をこそ待ちながら、問い続けるより他はなかった。歳(とし)を取るにつれ、理屈を越えて理解できるようになる心境も、恐らくはあるはずだった。

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