浜北の植木 植林用苗木から発達

2020年7月23日 05時00分 (8月13日 17時21分更新)
浜北営農緑花木センターの回遊式日本庭園「百景園」。四季折々の庭園木や庭石、滝、池などを眺めながら散策が楽しめる

浜北営農緑花木センターの回遊式日本庭園「百景園」。四季折々の庭園木や庭石、滝、池などを眺めながら散策が楽しめる

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 浜松市浜北区では、新原・小林を中心に、江戸時代の中頃から苗木の生産が行われていました。「遠州苗木」として、遠州地方(静岡県西部)をはじめ近県各地に出荷されていたそうです。
 当時の新原・小林の辺りは、水を得にくいやせた土地でした。田畑を作るのには不向きでも、植木にとっては好都合でした。少ない水分や養分を吸収しようと根の先が発達するのです。「浜北の植木は、どこに移植しても根付きしやすい」と評判です。
 山林に植える苗木も盛んに生産されました。「遠州苗木」が全国的に有名になったのは、金原明善による天竜川流域の治水用の植林事業でした。
 今から100年ほど前、大正末期から昭和初期になると、山林用の苗木を手入れして庭園樹に仕立て上げる先駆者が現れ、植木の生産が広まりました。
 庭園樹は、マキやクロマツが中心でした。
 浜松地方は、冬になると遠州の空っ風が吹きます。マキを使った屋敷の周りの風よけの生け垣や、ミカン園の防風垣を知っている人も多いと思います。
 クロマツは、乾燥や潮風、砂などに強いため、防風林や防砂林などにも利用されています。マキもクロマツも、浜松では多くの人になじみのある樹木です。
 庭園樹が広まった当初は、自然に育ったマキやクロマツを庭園用に整える仕立物が中心でした。ミカン園の防風垣のマキや遠州灘の風にもまれたクロマツを譲り受け、植木農家が庭園樹として育てることもありました。
 しかし、戦争が始まると、植木は薪や木炭の原料になることが多くなり、植木産業は衰えました。

◆戦後に緑化需要 庭園樹の生産急増

 戦後、高度経済成長期を迎えると、家庭の庭に樹木を植えるようになったり、会社の敷地を緑化するようになり、庭園樹の生産が急速に増えました。道路や公園などの公共事業でも需要は高まりました。
 1972(昭和47)年からは浜北植木まつりが毎年行われ、「植木のまち」を全国に発信しています。
 74年には緑花木センター(今の浜北営農緑花木センター、浜北区新原)がオープンしました。庭木から鉢物まで3千種、30万本の植木を展示販売している県内最大級の園芸センターです。
 浜北区は、今でも植木産業の盛んな地域です。

<もっと知りたい人へ>
見学場所:浜北営農緑花木センター 浜松市浜北区新原6677

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