立川志らく 東京生まれの私がなぜ竜党に? 出会いは10歳 神宮初観戦「竜とブルー」がカッコ良くて…

2020年7月21日 06時00分

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立川志らく(c)Shunki OGAWA

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「立川志らく ドラ放談」


 竜党を自負する著名人が独自の視点でドラゴンズ愛を語る企画「ドラ放談」がスタートする。その先陣を切るのは落語家の立川志らく(56)。3連敗中で最下位に沈む現状だが、巻き返しを信じて疑うことはない。その東京都出身の売れっ子落語家はなぜ竜党になったのか…。高座の扇子と手ぬぐいをペンに持ち替え、まずはその秘密を明かす。志らく師匠のコラムは月1回の予定で掲載します。
  東京生まれ東京育ちの私が何故ドラゴンズファンになったのか? 
 それはさかのぼること昭和48(1973)年、私が10歳の時。父親に初めて連れて行かれた神宮球場、ヤクルト対中日の試合。子供心からするとヤクルト、ツバメ(その年はヤクルトアトムズが球団名)、なんだか弱そうでカッコ悪く思えた。そこへいくと中日って何だか東京の子供には分からないが、“竜”と“ブルーのユニホーム”が強くてカッコ良く思えた。それでファンになった。
 そう、ただカッコいいから。いぶし銀の高木守道、大好きだった。後年、監督になって強い落合ドラゴンズとは打って変わって弱くなった時は嫌いになったなあ。でも、感情をあらわに出す感じがどんどん癖になって最後は選手の時より好きになっていた。
 あとキャッチャーの木俣。一筋縄ではいきそうにない感じが大好きだった。そして、もちろん星野仙一。巨人に対して異様に燃えるところがたまらなかった。

「竜パジャマ」で『ひとりVパレード』警察のお世話に

 その年は巨人がV9を果たした年。来年は絶対にドラゴンズが優勝するんだと友達に豪語していた。当然、誰からも相手にされなかった。当時の東京の小学校には巨人ファンしかいなかった。私は意地になってドラゴンズの帽子をかぶって学校に通っていた。友達からは、中日? ああパ・リーグかとバカにされた。その頃はパ・リーグはセ・リーグのおまけみたいな存在だった。悔しくて悔しくて。
 しかし、翌年の昭和49(1974)年、巨人のV10を阻止してドラゴンズが優勝した。当時の選手たちは光り輝いていた。特に4番のマーチン! ホームランを打った姿にとりこになった。初めて見るカッコいい大人、それがマーチン。優勝した際に喜びのあまりマーチンがヘルメットを外したら禿(は)げていたのにはショックを受けたなあ。
 私もうれしさのあまり、親に買ってもらったドラゴンズのユニホームタイプのパジャマを着て夜の町をひとりパレードだと練り歩き、警察に保護されました。
 今年のドラゴンズはもちろん優勝です!(落語家)
▼立川志らく(たてかわ・しらく) 1963(昭和38)年8月16日生まれ、東京都出身の56歳。本名・新間一弘。日大芸術学部在学中の85年10月に落語立川流家元の立川談志に入門。88年に二つ目となり、95年に真打ち昇進。映画に造詣が深く、「シネマ落語」で注目を集める。98年の「異常暮色」で映画監督デビュー。2003年に劇団下町ダニーローズを結成した。19年からTBS系情報番組「グッとラック!」でメインMCとしても活躍中。
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