本心<309>

2020年7月21日 05時00分 (7月25日 00時47分更新)
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
※転載、複製を禁じます。

第九章 本心

 拘置所は、巨大なロボットの昆虫のような、学校の校舎を更(さら)に威圧的にした風の、凡(およ)そ何に似ているとも形容し難い、気が滅入(めい)る建物だった。
 僕は、事前に調べていた通り、面会所の向かいにある「差入店(さしいれてん)」で、菓子やパン、弁当などを買って、あとで届けてもらうように依頼した。
 面会受付で手続きを済ませ、荷物をロッカーに預けた。テレビが置かれたロビーの待合スペースでは、大きな病院のように、老若男女、意外にたくさんの人たちが、ソファに座って待っていた。身内だろうかと、僕は空席を見つけられず、立ったまま彼らを見ていたが、五分ほどで面会室に通された。
 面会時間は十五分と告げられていた。靴の音がよく響く廊下だった。映画で見るのとそっくりの狭い個室に案内され、座って待っていると、係員に連れられて岸谷が入ってきた。僕を見ると、昔と同じように、ニヤッと笑った。
「元気そうだね。」
「おお、ありがとう。差入も。あの会社で働いてたヤツで、来てくれた人、初めてだよ。」
 僕は、大分、窶(やつ)れているんじゃないかと想像していたが、意外に、浮腫(むく)んだようにふっくらしていた。そう言うと、
「運動不足で、寝て喰(く)ってばかりだからな。でも、刑務所に行ったら痩せるらしい。」
 と苦笑した。彼に直接会うのは、いつ以来だろうか? 画面越しのやりとりが多かったが、その彼と透明のアクリル板を挟んで向かい合っている現実を、うまく受け容(い)れられなかった。ネット以上に、彼が別の空間に存在していることを感じた。
「なんか、ここは、仮想空間の中にいるみたいだよ。酷(ひど)い、悪夢的な。そのまま、ヘッドセットが外れなくなって、現実の世界に戻れなくなってしまったみたいで。――寒いし、臭いし、まァ、実際は現実そのものだけど。」
 僕は、彼の軽口をどう受け止めて良いのかわからず、
「……異様な事件だね。記事読んで驚いた。」
 と言った。
「嘘(うそ)も書かれてるよ、色々。」
「そう?」
「まあ、……裁判で、それは。」

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