<山とともに 新穂高ロープウェイ50年>(上) 上高地結ぶ計画、夢半ば

2020年7月19日 12時09分 (7月19日 12時09分更新) 会員限定
笠ケ岳を背に進む開業当時の初代ゴンドラ(第2区間)=高山市奥飛騨温泉郷で(奥飛観光開発提供)

笠ケ岳を背に進む開業当時の初代ゴンドラ(第2区間)=高山市奥飛騨温泉郷で(奥飛観光開発提供)

  • 笠ケ岳を背に進む開業当時の初代ゴンドラ(第2区間)=高山市奥飛騨温泉郷で(奥飛観光開発提供)
 「何という素晴らしい眺めだ。このままにしておくのは惜しい」。終戦間もない一九四八年、高山商工会議所の常務理事だった故三島栄一は、新穂高温泉の露天風呂から抜戸岳(二、八一三メートル)の神々しい山容を見て、奥飛騨の観光開発に取り組む決心を固めた。そのいきさつを回顧録につづっている。
 三島が感動した絶景は今、新穂高温泉と西穂高岳中腹を結ぶ新穂高ロープウェイで堪能できる。ゴンドラの高度が上がるにつれ、眼前に迫る北アルプスの荒々しい山肌。だが、当初頭に描いたのは、穂高連峰を越えて上高地へと降りる壮大なルートだった。
 三島は、旧上宝村(現在の高山市上宝町と奥飛騨温泉郷)の村長だった故高井幹三を伴い、何度も国鉄名古屋鉄道管理局(現JR東海)の幹部らに新穂高を案内した。観光地としての潜在的魅力をアピールするためだ。
 案内された一人が、後に新穂高の観光開発を主導する名古屋鉄道(名鉄)の営業局長となった故竹内外茂(そとしげ)。それが新穂高と上高地を結ぶロープウエーを建設する構想につながった。名鉄は六一年、地元の市町村や交通事業者などと組んで「奥飛騨開発公社」を設立。一年後、ロープウエー建設の実動部隊とし...

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