大正琴の歩みと今後 駒ケ根の「琴伝流」会長に聞く

2020年7月12日 05時00分 (7月12日 05時00分更新) 会員限定
考案当初から時代ごとの大正琴が並ぶ社内展示室で話す北林さん=駒ケ根市赤穂で

考案当初から時代ごとの大正琴が並ぶ社内展示室で話す北林さん=駒ケ根市赤穂で

  • 考案当初から時代ごとの大正琴が並ぶ社内展示室で話す北林さん=駒ケ根市赤穂で
  • 明治から大正にかけて流行した陽琴(左)と大正琴にヒントを与えたとされる当時のタイプライター=駒ケ根市赤穂で
  • アジアで作られた鮮やかな図柄の大正琴=駒ケ根市赤穂で
  • 数字で書かれた楽譜「数字譜」と大正琴
 地域の文化発表でよく登場する大正琴。その名の通り、大正時代に誕生した楽器だが、当初はソプラノ音域のみで、低音域は上伊那郡南部の会社が発祥だ。駒ケ根市赤穂(当時は飯島町)にある国内最大規模の流派「琴伝流大正琴全国普及会」が先駆けて開発し、アンサンブルの全国ブームを生んだという。低音域誕生のきっかけや今後の展開などを、会長で二代目の北林篤さん(57)に聞いた。 (石川才子)
 大正琴は一九一二(大正元)年、二弦琴とタイプライターを組み合わせ、名古屋市内で考案されたとされる。一四年に第一次世界大戦が始まり、楽器の輸入が止まると注目され、輸出されて現地でも似たような楽器が作られるように。五九(昭和三十四)年に作曲家古賀政男さん(一九〇四〜七八年)による歌謡曲「人生劇場」がヒットし、大正琴が「心にしみる」と再び人気を集めた。

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