笏谷石は西へ東へ 都市住民の生活起爆剤

2020年7月11日 05時00分 (7月11日 12時58分更新)

越前中心に交流の歴史

 日本を代表する百の歴史文化ストーリー「日本遺産」。その一つが、福井市の一乗谷、福井城跡や勝山市の白山平泉寺、七里壁などに代表される「石の文化」です。福井、勝山両市には全国でも貴重な戦国時代の石垣が多数残り、江戸時代の石垣が今もまちの景色を形作っています。
 石の文化を支える重要な石材は、笏谷石(しゃくだにいし)。足羽山で産出された笏谷石は、墓石、狛犬(こまいぬ)、鳥居、建物の基礎、敷石などとして各地で用いられました。全国に運ばれた笏谷石は、越前を中心とした交流の歴史を語る証拠です。
 日本遺産は、歴史、文化の活用や観光を重視しています。その効果を高めるには、価値や魅力をきちんと知り、発信することが大切です。そこで、日本遺産認定をきっかけに、全国の専門家にそれぞれの地元に残る笏谷石を調査してもらいました。地上に残る墓石、狛犬などだけではなく、遺跡から出土した行火(ばんどこ)=あんか=や茶臼といった生活用品を含めて、千六百カ所を超える笏谷石所在地のリストを作成しました。この連載では、その最新成果を全国の専門家の皆さんとともに紹介していきます。
 笏谷石の歴史研究はこれまで、「石の鬼」(一九八八年、一乗谷朝倉氏遺跡資料館)、「石をめぐる歴史と文化」(一九八九年、福井県立歴史博物館)、「笏谷石文化」(一九八八年、福井の文化財を考える会)などで、質の高い成果が発信されてきました。現在も笏谷石研究家の三井紀生さんによって精力的な調査が進められています。
 古墳時代の石棺を除くと、笏谷石は鎌倉時代に墓石として利用が開始されました。室町時代までに福井県外に運ばれた笏谷石は、愛知県、石川県、佐賀県などわずかな例しかありません。しかし、戦国時代になると土岐氏の大桑城(岐阜県)や浅井氏の小谷城(滋賀県)といった、朝倉氏と特別な関係をもつ場所に狛犬などがもたらされています。笏谷石は、朝倉氏から贈られた越前の特産品、ブランド品と考えることができるでしょう。
 この頃、越前国内でも大きな変化がありました。従来の墓石だけではなく、行火、水桶(みずおけ)、茶臼、石臼、風炉など多様な笏谷石製品が現れ、朝倉氏が滅び柴田勝家が北庄に入ると、石瓦や石垣にも多く利用され始めました。一乗谷、平泉寺、北庄といった都市住民の新しい生活が笏谷石生産拡大の起爆剤になったのでしょう。
 その後、笏谷石は日本海流通によって各地に運ばれていきますが、それはまた次の機会に。(勝山市教委学芸員・阿部来)
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 この連載では笏谷石が残る道府県の現状を、地元の学芸員や研究家が北からリレーで紹介します。次回は八月八日に、北海道を紹介します。

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