多数の巨岩で通路に 一乗谷朝倉氏の栄華と遺跡(福井)

2019年8月10日 18時48分 (7月10日 18時53分更新)
下城戸の巨石=いずれも福井市城戸ノ内町で

下城戸の巨石=いずれも福井市城戸ノ内町で

  • 下城戸の巨石=いずれも福井市城戸ノ内町で
  • 京の細川管領邸にも匹敵するほど広大だった朝倉館跡に残る居館の礎石や井戸
 福井市から足羽川をさかのぼり、奥越へ続く山ひだの最初の山あいに延びるのが一乗谷です。その入り口「下城戸(しもきど)」には人の侵入を拒むように巨石がそびえ、高さ四㍍の土塁が残っています。巨石は最大のもので四十五㌧。このような巨石をいくつも組み合わせて、直角の曲がり角の通路が造られています。
 その下城戸で守られた中世都市が一乗谷朝倉氏遺跡です。遺跡は、一九六七(昭和四十二)年から本格的に発掘調査が行われ、中世の武家の暮らしがよく分かる貴重な遺跡として七一年に特別史跡に指定されました。また、調査で確認された湯殿跡庭園、諏訪館跡庭園、南陽寺跡庭園、朝倉館跡庭園は九一年に特別名勝に、発掘調査で出土した遺物のうち笏谷(しゃくだに)石製品を含む二千三百四十三点が二〇〇七年に国の重要文化財に指定されました。
 現在は福井平野の奥まった位置にあるように思う一乗谷ですが当時は交通の要所でした。下城戸の北側には大野市や美濃市(岐阜県)に通じる美濃街道、勝山市に通じる安波賀(あばが)街道が位置しており、一乗谷の奥・上城戸(西新町)からは、西に向かって山を越え東大味町へ抜ける石敷きの大手道「朝倉街道」を、国府のあった越前市まで整備しました。
 また、遺跡内を縦断する形で一乗谷川が流れています。一乗谷川は足羽川を経て九頭竜川から日本海を結ぶ水運の要です。
 このような要所を押さえた一乗谷で、朝倉氏は栄華を極めます。十五世紀後期の京の都は応仁の乱(一四六七~七七)の影響で荒廃していました。そのため、多くの貴族や文化人が難を逃れるために一乗谷にやってきて、多くの京の文化や石を用いた作庭技術が一乗谷に伝わりました。
 当時の京の細川管領邸にも匹敵する広大な館を構えるほどの権勢を誇った朝倉氏ですが、一五七三(天正元)年、織田信長に攻められ一乗谷は灰に帰し、朝倉氏の歴史は一乗谷に居を構えて百年余りで幕を閉じることとなります。
 日本遺産に認定された中世城下町を体感できる一乗谷朝倉氏遺跡を訪れてはいかがでしょうか。 (福井市文化振興課主幹・田辺朋宏)

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