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ダムに沈んだ村の激動の記録 写真家・大西暢夫さんが出版

2020年7月10日 05時00分 (7月10日 05時00分更新)
旧徳山村の人々の姿を記録してきた大西暢夫さん。「ホハレ峠」では村に最後まで残った廣瀬ゆきえさんの足跡をたどった=岐阜県池田町で

旧徳山村の人々の姿を記録してきた大西暢夫さん。「ホハレ峠」では村に最後まで残った廣瀬ゆきえさんの足跡をたどった=岐阜県池田町で

  • 旧徳山村の人々の姿を記録してきた大西暢夫さん。「ホハレ峠」では村に最後まで残った廣瀬ゆきえさんの足跡をたどった=岐阜県池田町で
  • 立ち退きの日、解体される漬物小屋の前で遠くを見つめるゆきえさん(C)大西暢夫
 徳山ダムの建設により水没した岐阜県旧徳山村。村で生まれ、離村決定後も最後まで暮らした一人の女性の生涯をたどったノンフィクション『ホハレ峠−ダムに沈んだ徳山村 百年の軌跡』を、写真家の大西暢夫さん(52)=同県池田町=が出した。印象的な写真と本人たちの言葉で、地域の歴史を浮かびあがらせる。
 大西さんは、学生だった一九九一年から村に通い、人々の姿にレンズを向けてきた。大半の住民が離村していく中、最後まで残っていたのが、広瀬ゆきえさんだった。電気水道はもちろん、お金を使う場所さえない自給自足の生活。「なぜ最後まで暮らし続けたのだろう」。広瀬さんから生い立ちを聞き取り、記録に残してきた。
 広瀬さんは村の最奥地にあった門入(かどにゅう)という集落の出身。自分で村を初めて出たのは十四歳のとき。家で育てた繭を積み、当時交通の要衝だった「ホハレ峠」を歩いて現在の滋賀県長浜市まで向かった。その後やはりホハレ峠を越え、同県彦根市などの紡績工場で出稼ぎした。
 いったん北海道真狩(まっかり)村に嫁ぐが、やがて家族とともに徳山村に戻った。戦後、高度経済成長の足音が聞こえていた時期。自給自足だった集落の生業は大...

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