<備える> 理想的な復興とは

2020年7月9日 05時00分 (8月3日 01時17分更新)
 大災害の発生をあらかじめ想定し、被災後の町づくりの方向性を定める「事前復興」という考え方が注目されている。行政と住民が地域の課題を共有し、納得を得られる円滑な復興を実現させようという試みだ。背景には、自治体によって復興のスピードや被災者の人口流出に差が生まれた東日本大震災の教訓がある。理想的な復興の在り方を模索する各地の取り組みに焦点を当てた。 (西田直晃、鎌田旭昇)

東日本大震災 宮城では

 東日本大震災から九年余りが経過し、宮城県内の被災地では災害公営住宅に暮らす住民の満足度に差が生まれている。市町村に復興のノウハウがなく、手探りのまま集落の移転や住居の確保を進めたためだ。震災前から顕著だった過疎化の影響もあるとはいえ、地域コミュニティーの維持に課題を残している。
 二〇一三年に災害公営住宅の一部で同県内最速の入居を開始した山元町。入居は抽選方式を採り、元の隣近所は散りぢりになった。住民からは「被災地を切り捨て、町づくりを優先した」と不満が漏れる。同町の災害公営住宅に暮らす渋谷孝志さん(78)は新しい地域になじめずにいる。「もう地域の人とは関わらないようにしてんだわ」。地域では交流会が開かれるが「来る人は毎回同じ。わずらわしいだけだった」と話す。
 震災で同町では三千三百棟の住宅が半壊以上の被害を受けた。町は震災復興計画で「コンパクトシティー」を掲げ、六つの被災集落の移転先を三カ所に決めた。地域性やJR線移設などを考慮し、「新山下駅」地区などを移転先としたが、場所の選定に住民の意見は反映されなかった。
 沿岸の「笠野地区」に住んでいた嶋田博美さん(70)ら三十七戸は地区内での集団移転を町に求めた。嶋田さんは「愛着があり、笠野地区を残したかった」と振り返る。国の防災集団移転促進事業では、東日本大震災は特例で五戸以上を集団移転の条件にしていた。
 だが、山元町は「持続可能な町づくりにはある程度の規模が必要」として地区独自の移転を認めなかった。町によると、当時少なくとも同様の要望が他に二地区あった。嶋田さんは「新しい町づくりに被災者が利用された」と憤る。
 移転先の新山下駅地区は、約三十七ヘクタールの田を埋め、分譲区画と災害公営住宅を整備。入居は希望が重複した場合は抽選とした。抽選方式は公平・迅速に入居者が決まる一方、それまでのコミュニティーや人間関係が希薄になる可能性がある。
 「地域のつながりはほとんどない」と話すのは、町内会で役員を務める大久保勝美さん(76)。「隣の人がしょっちゅうのぞいてくる」などあらぬうわさが飛び交うといい、「住民同士が疑心暗鬼になっている」と指摘する。
 一方、同県岩沼市はコミュニティー維持を優先し、地区ごとの集団移転を方針とした。被災した六地区が市内の「玉浦西」地区に移転した。山元町との違いは、分譲も災害公営住宅も地区ごとに区割りして集落が固まって移転したこと。区割り位置は住民らの話し合いで決まった。
 同市では震災一カ月後から避難所の中で集団移転の協議が始まった。市側は町内会長など代表者と意見を交わした。集団移転を担当した市職員の菊地智男さん(52)は「住民と行政の間に地区の代表者が入ることで意見のキャッチボールがうまくいった」と振り返る。

南海トラフ地震に備えて 三重・南伊勢

 南海トラフ地震に備え、東日本大震災前から「事前復興」を町づくりの核に据えてきた三重県南伊勢町。津波被害を軽減するため、昨年までに町立病院や同保育園、特別養護老人ホームの高台移転を終えた。小山巧町長は「施設の高台移転までは行政の仕事で、事前復興計画の策定は町民との共同作業。被災後の町のレイアウトを共に考えることで、いざというときの心構えを持ってもらう」と語る。
 町は東西に細長く、熊野灘に面したリアス海岸が特徴的。町域のうち居住面積は1%にとどまる。県の津波被害想定によると、海抜一〇メートルほどの高さにある集落の多くが水没する。事前復興計画に先駆け、町内の全三十八集落は二〇一五年までに、避難の道順や手法、連絡手段などを定めた地区ごとの行動計画を作った。町はその上で昨年二月、五ケ所湾奥に位置する二地区で、先行的に事前復興計画の策定に向け説明会を開いた。
 町の事前復興計画のイメージは「災害後の町づくり」と「災害前の人命避難」を兼ねるという。応急仮設住宅の設置場所を住民主導で決めるほか、五割超の高齢化率を考慮し、高齢者住宅を浸水区域外に建設。同意を得た高齢者には移住してもらう。町は今後、他地区でも説明会を開き、計画作りを本格化する。小山町長は「町の存続には若い世代が必要。災害に強い町づくりを進め、若者にとどまってもらう狙いもある」と説明する。

南海トラフ地震に備えて 静岡・富士

 一方、駿河湾に面した静岡県富士市は一六年春、被災後の復興方針や都市像を盛り込んだ「事前都市復興計画」を策定。県の南海トラフ地震の被害想定では、津波や家屋倒壊などで百四十人が死亡するとされる。
 計画では災害時の復興までの手順の大枠を定め、行政と住民の役割を示した。市は、これまでに四地区で職員や住民代表者らが参加するワークショップを実施。公園や広場などを仮設住宅の候補地とし、住宅の模型を用いて配置を考えたり、仮設商店街の構想などを協議したりしてきた。
 「災害時にはこの計画が、実際の復興計画のたたき台になる」と市都市計画課の井出剛洋調整主幹。同市には、富士山噴火など他の災害対応への課題があり、「住民の防災意識向上にも役立つ。今後も地区ごとにワークショップを続ける」と話す。

地域と行政、共に知恵を出し合って 荒木裕子・名古屋大特任准教授

 地域復興に詳しい名古屋大減災連携研究センター・荒木裕子特任准教授に事前復興のポイントを聞いた。
 −事前復興という考え方が注目されている。
 東日本大震災後の地域復興の多くは、国や県が示した枠組みに沿って進んだ。防潮堤の建設や居住地の制限など、津波への対応方法が画一的になり、地域性や住民の暮らしに沿った安全確保策を十分に検討できなかった。このため、コミュニティー維持に課題を残した地域もある。災害後に膨大な作業に追われる自治体にとって、復興事業の財政面も考えつつ、地域の復興像を議論するのは難しい。そこで「事前に復興を話し合う」という考え方に光が当たった。
 −事前復興の利点は。
 阪神大震災や東北の被災地を見ても、地域と行政が知恵を出し合った自治体の方が住民の納得感が大きいようだ。大事なのは、ただ計画をまとめるのではなく、「どんな地域や暮らしでありたいか」「実現のためにはどんな方法があるか」という考えを共につくっていくことだ。
 −今後の動きは。
 国は事前復興計画の策定を呼び掛けているが、市町村は東日本大震災後に見直された被害想定への対応で手いっぱいだった。だが、安全性と継続性を兼ねる町づくりには、ハード面の整備や危険区域の居住制限だけでは限界もあり、事前復興の議論はこれから加速するのではないか。

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