埋葬者は土岐領主一族か家臣 段尻巻古墳を土岐市が墳丘整備へ
2020年7月7日 05時00分 (7月7日 11時42分更新)
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約千四百年前の古墳時代末期−飛鳥時代に築かれたとみられる国史跡「段尻巻古墳」(土岐市泉町)の発掘調査で、埋葬された人物は土岐郡の領主の一族か有力な家臣の墓だとみられることが分かった。市は本年度、墳丘の修復など整備を進める計画で、六日、現地で整備工事の安全祈願祭が開かれた。
市美濃陶磁歴史館によると、段尻巻古墳は直径約二十四メートル、高さは約四メートルの円墳で、同時期の古墳としては大きいものだという。一九三八年に約五十メートル東にあり、石室が美濃で最大級の方墳、乙塚古墳とともに国史跡に指定された。発掘調査は二〇〇二年度から断続的に実施されている。
段尻巻古墳の埋葬者について、位の高い人を埋葬したとみられる乙塚古墳に隣接していることから、乙塚古墳の埋葬者と近い関係にあったとみられるほか、古墳からは七世紀の須恵器や土師器(はじき)のつぼや茶わんなどの埋葬品も見つかった。沢井計宏学芸員は「一族や有力な家臣の中でも、かなり力のあった人物が埋葬されたのでは」と話す。
整備工事では、墳丘ののり面を保護し、排水路も敷設する。石室内部の手つかずの部分の発掘調査も行う。さらに来年度には、両古墳の見学者用...
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