笏谷石の石瓦が出土 勝山で初、由来に諸説
2020年7月3日 05時00分 (7月3日 12時47分更新)
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県埋蔵文化財調査センターが勝山市本町二周辺で行っている勝山城跡と十八世紀ごろの町屋跡・袋田遺跡の発掘調査で、市内では初めて笏谷石(しゃくだにいし)の石瓦が出土した。笏谷石の石瓦は高価で、福井城や丸岡城などに使われているが、当時三万五千石ほどの小藩だった勝山藩の遺構から出土したことで、由来について諸説が浮上している。
発掘調査は大蓮寺川放水路整備に伴い二〇一九〜二一年度の計画で、通称「元禄線」と呼ばれる市道で実施。石瓦は今年、商店街の本町通りとの交差点付近で見つかった。三つに割れた状態で、元は幅三四センチ、長さ二五センチ、厚さ五・五センチの一枚だったとみられる。県内で確認されている安土桃山から江戸時代までのものと推測される。
同センター主任の藤本聡子さんは二つの仮説を立てた。一つは越前松平家ゆかり説。勝山城は一五八〇(天正八)年に柴田勝家の一族・勝安がこの発掘場所に移したとされ、一六〇〇(慶長五)年に越前松平家初代・結城秀康の統治下になった。二四(寛永元)年に秀康の五男直基が勝山藩主となり、六男直良が引き継いだ。直良は丸岡城を築いた本多成重の娘婿で、石瓦が入手しやすい立場にあったとする...
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