二俣線 東海道線を迂回 戦争備え計画

2020年7月4日 05時00分 (7月20日 14時47分更新)
SL廃止に伴う「さよなら列車」を前に点検を受ける蒸気機関車(天竜浜名湖鉄道提供)

SL廃止に伴う「さよなら列車」を前に点検を受ける蒸気機関車(天竜浜名湖鉄道提供)

  • SL廃止に伴う「さよなら列車」を前に点検を受ける蒸気機関車(天竜浜名湖鉄道提供)

◆戦後はダム建設用セメント輸送

 日本の大動脈である東海道線をたどると、浜松の辺りに、迂回路のような鉄道「天竜浜名湖鉄道」があることが分かります。
 この鉄道ができた当時は、「二俣線」と呼ばれる国有鉄道(国鉄)でした。
 二俣線ができたのは、戦争と深く関係しています。
 浜松を迂回する鉄道が計画されたのは、1920(大正9)年のことです。鉄道省が、遠美線建設計画を発表しました。掛川から二俣(今の浜松市天竜区二俣町)を経由し、岐阜県大井町に至る全長151キロの計画でした。
 これは、戦争により、東海道線の天竜川鉄橋や浜名湖橋が破壊されたり、浜松の中心部の鉄道施設が破壊されたりしたときに備えて、中央線に接続する迂回路を設ける国防上の目的があったのです。
 この案は、関東大震災が起き、首都圏が壊滅的な被害を受けたことから財源を確保できなくなり、無期延期になりました。
 その後、32(昭和7)年になって二俣線として改めて計画されました。遠美線の路線は大きく変更され、掛川から二俣を経て、浜名湖の北を通り、西を南下、新所原で再び東海道線に接続する浜松の中心部を迂回する路線です。
 33年に着工し、40年に全長68キロの路線が完成しました。
 44年、東南海地震で東海道線が大きな被害を受けた時や、45年、東海道線が空襲や艦砲射撃で不通になった時、二俣線で迂回輸送しました。
 54年から、金指駅(今の浜松市北区引佐町)では引き込み線で工場から運ばれたセメントを二俣線を使って佐久間ダムの建設のために輸送しました。戦後日本の土木技術史の原点になった工事に二俣線は大きな役割を担っていたのです。セメントはダムの他にも県内外に輸送されました。
 58年、遠州鉄道の気動車が西鹿島―遠江二俣(今の天竜二俣)間に乗り入れ開始、61年に乗り入れ区間を遠江森(今の遠州森)まで延長しました。
 沿線住民の通勤、通学の足として、セメント、木材、農産物などの貨物輸送にも大きく貢献した二俣線ですが、過疎化や自動車の普及などにより、年々利用者が減ってきました。
 71年、蒸気機関車(SL)が廃止されてディーゼルカーに入れ替わりました。二俣線は87年に廃止され、天竜浜名湖鉄道として新しく開業しました。

<もっと知りたい人へ>
見学場所:天竜浜名湖鉄道天竜二俣駅「転車台&鉄道歴史館見学ツアー(毎日開催)」(問)053-925-2276


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