<西濃 世間遺産>河戸石の採石場跡(海津市) 名古屋城の石垣にも 

2020年6月24日 05時00分 (6月24日 05時01分更新) 会員限定
木々に囲まれて残る採石場跡=海津市南濃町で

木々に囲まれて残る採石場跡=海津市南濃町で

  • 木々に囲まれて残る採石場跡=海津市南濃町で
  • 海津市歴史民俗資料館で展示している刻印石。紀伊和歌山藩初代藩主の浅野幸長の刻印とみられる=海津市海津町で
 海津市南濃町西部を南北に走る養老山地。東海自然歩道を歩き、途中から急な山の斜面を登った。民有地だが許可を得て、市教委職員に案内してもらう。職員が示す衛星利用測位システム(GPS)の位置情報だけが頼りだ。息を切らして二十分ほど進むと、山腹の少しだけ開けた場所に出た。名古屋城の石垣にも使われた「河戸(こうず)石」の採石場跡の一つだ。
 眼前には、岩盤が露出していた。人の背丈の二倍ほどはあるだろうか。岩には切り出した際の跡のようなものもあった。
 南濃町一帯はかつて、河戸石と呼ばれる石材の産地として知られた。中世以降に石が切り出されていたという。市教委などが二〇〇八〜一一年度に実施した「市内遺跡詳細分布調査」では、採石場跡が十二カ所確認されている。
 市歴史民俗資料館の学芸員水谷容子さん(49)によると、河戸石は砂岩で硬く、江戸時代初期の名古屋城築城では石垣や水路などに使われた。大垣城でも確認できるという。
 水谷さんは「切り出した石は斜面を滑らせたり、丸太を敷いて引いたりして運んだと考えられ、その後は揖斐川を通じて名古屋などに運搬さ...

中日新聞読者の方は、無料の会員登録で、この記事の続きが読めます。

※中日新聞読者には、中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井の定期読者が含まれます。

関連キーワード

PR情報