夢告地蔵尊 1858年大流行のコレラ供養し収束祈る

2020年6月24日 05時00分 (7月20日 14時46分更新)
今も残る夢告地蔵尊。コレラ禍の収束を願い人々が祈った=浜松市中区で

今も残る夢告地蔵尊。コレラ禍の収束を願い人々が祈った=浜松市中区で

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◆廃仏毀釈でも人々に慕われ

 夢告地蔵尊は、1858(安政5)年に大流行したコレラで亡くなった人々を供養するために建てられた延命地蔵です。
 江戸末期、長崎に着いた異国船から日本各地に広まったコレラは、激しい吐き気と下痢に襲われる危険な伝染病でした。元気な人でもかかってしまうと数日で命を落とすことがあり「三日コロリ」とも呼ばれ、頭が虎で体が狼と狸の妖怪「虎狼狸」の仕業ではないかと恐れる人もいました。
 当時、浜松市でもコレラによる死者が出たため地蔵を作って供養し、コレラの災いが収まり安全な生活ができるように祈ったのです。おかげで、その後、地蔵の周りの地域は大繁盛したそうです。
 ところが、明治時代になると、廃仏毀釈(仏教を退ける運動)の影響で地蔵を取り壊すように役人から命じられました。町の人々は、壊すのは忍びなく、泣く泣く地面を掘って埋めることにしました。
 1919(大正8)年のある夜のことです。
 浜松市新町(今の中区中央)に住む小柳丈之助の夢にお地蔵様が現れ「わしは、50年前に埋められた地蔵菩薩である。地上の明るい世の中に出してくれ」と話しかけてきました。
 驚いた丈之助は、町内の人に話すと、古老が埋められた経緯を教えてくれました。ありがたいお地蔵様を何とかもう一度祭ろうと、町民総出でお地蔵様を捜しました。3日目になってようやく掘り出すことができました。すぐに御堂を建て、夢告地蔵尊として祭りました。すると、町は以前にも増して栄えるようになりました。丈之助の家では40歳を過ぎた妻の加江が初産で男の子を産むめでたい出来事もあったそうです。
 こうして、夢告地蔵尊は、子授け地蔵としても祭られるようになりました。コレラをきっかけに生まれた夢告地蔵尊は、地域の多くの人々を幸せにするお地蔵様として慕われました。
 第2次世界大戦の空襲や艦砲射撃で御堂と地蔵尊は壊されてしまいましたが、51(昭和26)年、76年(昭和51)年の2度にわたり再興し、今に至っています。

<もっと知りたい人へ>
見学場所:夢告地蔵尊 浜松市中区中央3-1-29


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