往時の姿 追憶誌で後世に 珠洲で38年営業 ホテルニューまうら

2020年6月21日 05時00分 (6月21日 11時07分更新)
追憶誌を手にホテルの往時を振り返る星場与一さん(左)と中井敏雄さん=七尾市で

追憶誌を手にホテルの往時を振り返る星場与一さん(左)と中井敏雄さん=七尾市で

  • 追憶誌を手にホテルの往時を振り返る星場与一さん(左)と中井敏雄さん=七尾市で
  • (上)1999年当時のホテルニューまうらの様子(下)利用客を出迎えるホテルニューまうらの従業員らの様子(いずれも追憶誌から)

OBら 写真と新聞記事使い紹介


 珠洲市真浦町で二〇〇〇(平成十二)年まで三十八年営業し、能登観光ブームを支えた「ホテルニューまうら」の往時を紹介する追憶誌が完成した。ホテルOBらでつくる「まうら友の会」発行。全国から観光客が押し寄せた状況も分かる。編集した元社長の星場与一さん(88)=中能登町西馬場=は「自分を育てていただいたホテルを後世に伝えたい。皆さんの協力で仕上がった」と感謝する。(室木泰彦)
 開業当時、映画「忘却の花びら」で隣接する輪島市曽々木海岸がロケ舞台となり能登ブームの契機に。曽々木と真浦間にトンネルも開通し、ホテルも奥能登の誘客を支えた。
 星場さんは一九八九〜九八年に社長、その後二〇〇〇年まで取締役を務めた。施設改良、宿泊客に定置網の陸揚げ見学を楽しんでもらう企画、十年連続で修学旅行で訪れた愛知県立安城東高校との交流、防災研修など、ホテルの歩みを写真や新聞記事などで紹介している。
 星場さんの社長時代は宿泊者数などの営業実績も掲載。バブル崩壊で観光客が減った厳しい現実もうかがえる。御陣乗太鼓演奏、団体客出迎えや新入社員歓迎式、改装工事、OB友の会(真志会)発会など写真も多数掲載。一八年に跡地にホテルを後世に伝える看板を設置したことも伝えている。
 七〇〜九一年に支配人だった中井敏雄さん(78)=金沢市上荒屋=は八〇年から手書きのミニ新聞を月一回発行した。毎月六百部で百七十五号まで発行。ホテルだけでなく能登全体の観光情報も掲載し、全国の関係者に配布しホテルPRに貢献した。「東京や大阪、名古屋などに行くと新聞を作る人として顔パスだった。反響がうれしかった」と振り返る。中井さんは追憶誌に写真など貴重な資料を提供した。
 県観光スペシャルガイドの藤平朝雄さんは巻頭あいさつに登場。五七年に訪れた俳人水原秋桜子(一八九二〜一九八一年)が詠んだ「雁(がん)来るや岩礁ならぶ七ツ島」の句碑が跡地にあることに触れ、今も北陸鉄道OBが管理することに敬意を表する。洋画家杉村雄二郎さん、元従業員らも寄稿した。
 A4判、六十九ページ。百部発行し関係者に配る。星場さんは元従業員らに感謝を込め「できる限り手渡したい」と話す。新型コロナウイルスの状況も見極め物故者をしのぶ会開催も検討する。希望者にも配る予定。(問)星場さん090(3885)8975

【メモ】ホテルニューまうら=1963(昭和38)年開業。北陸鉄道の子会社「真浦観光センター」が運営。地元食材を生かした「あえのこと料理」、「波の花」が見られる海岸近くのロケーションなどが人気を集めた。プロが選ぶ日本旅館100選に何度も入賞した。ピークの91年は年間6万5000人が利用。バブル崩壊や能登沖地震、ナホトカ号重油流出事故などで客足が減り2000年12月廃業した。


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