まちづくりに生かす 身近に残る福井城(福井)

2019年12月14日 18時11分 (6月13日 18時16分更新)
 福井城は慶長五(一六〇〇)年の関ケ原の戦いの後、越前を拝領した結城秀康により約六年の歳月をかけて築城されました。福井城というと、本丸跡に立つ県庁を思い浮かべる人も多いと思いますが、現在の地図に当てはめると、松本通りのやや北から、東は荒川、南は足羽川、西は片町通りに囲まれた約二㌔四方がその範囲にあたります。
 堀が四重(一部は五重)に巡らされ、堅牢(けんろう)な石垣に囲まれていました。石垣に使われた石材はすべて足羽山で産出される笏谷石(しゃくだにいし)です。笏谷石は石垣のみでなく、用水などの上水路や暗渠(あんきょ)とよばれる埋設管、建物の礎石や瓦などの建築資材にも使われていました。
 築城当時の福井城には望楼型四重五階の天守閣がありましたが、寛文九(一六六九)年の火災により焼失し、以後再建されることはありませんでした。城内には家臣の屋敷が配置され、一部に神社仏閣もありました。さまざまな開発に伴い行われた福井城跡の発掘調査では、陶磁器や木製品、石製品をはじめとする多くの遺物が出土し、当時の生活状況を知る上での貴重な資料となっています。
 明治維新を迎え、福井城はその機能を喪失し、面影は市街地化に伴い日に日に失われていきました。現在では、県庁の立つ本丸周辺の石垣が残るのみですが、市街地には福井城を感じられるよう、まちづくりに生かされた場所があります。ぜひ散策してみてください。(福井市文化振興課主幹・田辺朋宏)

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