北前船通じ広く流通 笏谷石(しゃくだにいし)(福井)

2020年2月8日 05時00分 (6月12日 20時04分更新)
笏谷石製の石棺(龍ケ岡古墳出土)=福井市郷土歴史博物館で

笏谷石製の石棺(龍ケ岡古墳出土)=福井市郷土歴史博物館で

  • 笏谷石製の石棺(龍ケ岡古墳出土)=福井市郷土歴史博物館で
  • 笏谷石の採掘跡=福井市西木田4の朝日山不動寺で
 福井市内各所で見かける笏谷石(しゃくだにいし)。普段淡い青色をしたこの石は、ぬれると濃い青色に変色し、その美しさがさらに引き立ちます。笏谷石は今から約千七百万年前の火山活動により形成された火山礫(れき)凝灰岩です。現在でもその産出地である足羽山周辺ではその採掘跡を見ることができます。
 笏谷石の利用が始まったのは、四世紀の終わりごろ、古墳時代前期に作られた舟形石棺でした。舟形石棺は五世紀の終わりごろまで製作されますが、それ以降笏谷石製品の製作は途絶えてしまいます。
 しかし、鎌倉時代に入ると笏谷石の石塔などが確認でき、この時期に笏谷石の採掘が再開されたと考えられます。製作された組み合わせ式大型五輪塔を中心に石塔や石仏が福井平野を中心に分布します。
 その後戦国期になると、武家が近畿や中部地方の神社仏閣に鳥居や狛犬(こまいぬ)、灯篭(とうろう)などの製品として寄進されていきます。これらの品々は、福井とゆかりのある大名や神社への贈答品であったと思われます。また、柴田勝家が越前に配されると同時に一乗谷から北ノ庄(現在の福井市街地周辺)にその支配地が移ります。これを期に北ノ庄での築城が始まり、石垣などの建築資材として膨大な笏谷石が採掘、加工されました。関ケ原合戦後に越前を治めた結城秀康も築城に際して同様に膨大な量の笏谷石を使用しました。この時期には、日本海沿岸域の流通ルートの開発も進み、中・大型の石造物が船により運ばれるようになりました。このような石造物は領主や大商人などの富裕層の注文品が中心でした。しかし、十七世紀の中ごろ以降になると、小型の石仏や切り石などの量産品が広まっていきます。特に北前船の運航により船の安定を図る目的もかねて船倉に積まれた笏谷石製品は、東北や北海道へも多く流通していました。
 このように長い歴史を持つ笏谷石ですが、残念ながら一九九八年にその採掘の歴史を閉じました。しかしながら、現在も神社仏閣だけでなく、県内各地で見ることもできます。また、各地へ運ばれた笏谷石も数多く残されています。もしかしたら、旅先で出合えるかもしれませんね。ぜひ探してみてください。 (福井市文化振興課主幹・田辺朋宏)

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