小百合葉子 子供に夢を 全国で芝居

2020年6月13日 05時00分 (7月20日 14時44分更新)
小百合葉子のポスター写真

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◆タンポポの力強さ 励まされ俳優に

 小百合葉子(本名山下みゑ、1901~86年)は、今の浜松市北区滝沢町に生まれました。
 葉子は、小学校を卒業すると、今の西遠女子学園(浜松市中区佐藤)に入学しました。そこで「小学校の先生になりたい」と思うようになりました。葉子は、一生懸命勉強しました。しかし、家庭の事情で、先生にはなれないと知ります。何もかもどうでもよくなった葉子は、校長室へ行き、「私、日本一の不良になります!」と言いました。すると校長先生は「不良になるのは、学校を卒業してからでも遅くない。そして、どうせなるなら世界一の不良になりなさい」と真面目な顔で言うので、葉子は思わず笑ってしまいました。心がほぐれた葉子は、いつも通り学校へ通い続けました。
 そんなことがあった後、先生に連れられて「桃太郎」のおとぎ劇を見に行きました。子供を対象にした日本で初めての劇で、分かりやすくおもしろい芝居に、葉子は夢中になりました。
 学校を卒業した葉子には、たくさんの困難が待っていました。ショックで病気になってしまった葉子は、ある日、病院の窓から庭に咲いているタンポポの花を見つけます。どんなに踏みつけられても、次の日の朝、すぐに立ち直り、強くたくましく咲いているタンポポの花を見て「俳優になって劇をやろう!」と決意しました。演劇の勉強をするために東京へ旅立ちました。
 東京で俳優になった葉子は、舞台やラジオなどで活躍し、自分の劇団もつくりました。
 太平洋戦争が終わると、日本の多くの都市は焼け野原になり、食べ物に苦しむ子供が大勢いました。その頃、長野県に疎開し、演劇活動をしていた葉子は、子供たちの元気な笑顔を見たいと、劇団を子供のための劇団に変え「劇団たんぽぽ」と名付けました。
 53(昭和28)年に劇団の本拠地を生まれ故郷の浜松に移すと、公演数は飛躍的に増え、北は北海道から南は沖縄まで日本全国に公演の輪を広げました。
 この頃、葉子は劇団員に次のように語っています。
 「私たちが演じるお芝居は、おもしろければ良いというものではない。子供の心に夢を広げてあげること。お芝居は、子供たちの心を和やかにしてくれる、心の栄養なの。そして、子供が大人になったとき困らないようにいろんなことを教えてあげるのが、大人のしなければならないことでしょう」
 踏まれても踏まれても花を咲かせるタンポポと同じように、葉子も劇団たんぽぽも降りかかってくる災難を乗り越えて、花を咲かせました。
 劇団たんぽぽは、今も全国の子供たちに演劇を通して夢を持つことの素晴らしさを伝えています。

<もっと知りたい人へ>
浜松市中区早馬町のクリエート浜松内の浜松文芸館で7月1日~10月20日、特別収蔵展「小百合葉子~劇団たんぽぽとともに~」が開かれる。

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