美空ひばりさん、星野仙一さん、スタローン…相撲界に身を投じて63年 忘れがたい人たち【北の富士コラム】

2020年6月7日 22時17分

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美空ひばりさんと北の富士さん(本人提供)

美空ひばりさんと北の富士さん(本人提供)

  • 美空ひばりさんと北の富士さん(本人提供)
  • 相撲観戦を楽しむ竹脇無我さん(左)と森繁久弥さん=1983年7月15日
  • 千代の富士の腕を取り、ファイティング・ポーズを見せるスタローン(右)=1988年6月、東京・墨田区の九重部屋で

◇はやわざ御免特別版「北の富士場所」番外編


 相撲界に身を投じてから63年。紆余(うよ)曲折ありましたが、何とかやってこられたのも3人の師匠、多くの兄弟弟子、数少ないファンのおかげであります。
 私がこの世界に入って「よかったなあ」と感じるのは、田舎にいては絶対に会うことのない人を見られたこと。それに外国に行けたことです。
 63年前の北海道は北海道自体が外国でした。東京の人が来たと聞けばみんなで見に行ったものです。「内地の人」と呼んでました。東京に来るときは決死の覚悟でした。
 当時の出羽海部屋は横綱千代の山関、同門に横綱栃錦関もいたので、稽古場はいつも千客万来、いろんな人が稽古を見に来ます。政財界の偉い人が多かったらしいのですが14、15歳の少年には分かりません。
 映画スターや野球選手が来た時はドキドキしました。中でも女優さんが来ると大騒ぎです。子ども心にも「きれいだなあ」と思いました。すぐ田舎と比べてしまうのは仕方がありません。高倉健さんが来た時、玄関で対応したのは私です。まだ売れる前でしたが「週刊平凡」などで見て知っていました。背が高く、かっこよかったです。明大相撲部ということで親近感もありました。
 今の松本白鸚、中村吉右衛門兄弟も学生服をきちんと着て、品のいい顔でした。こんな子どもも田舎にはいません。梅宮辰夫さんは千秋楽の打ち上げに来ていました。歌も歌っていましたが、あまりうまくはなかったのを覚えています。まだ大学生だったようでした。お金持ちらしいおばさんと一緒でした。何十年もして梅宮さんにその話をしたら、恥ずかしそうでした。
 一番印象に残っているのは森繁久彌さんです。後援会の人が連れて来られて、ちゃんこをつつきながら酒を飲んでいました。お話が面白く、接待していても楽しかったです。中でも面白かったのは、森繁さんが飼っていた小さい猿の話。森繁さんがウトウトしていると、その小猿がパンツの中に手を入れてナニを触ったり引っ張ったりして、森繁さんのナニが大きくなりました。小猿が驚いてガブリとかみついた。「あまりにも俺のが大きいから驚いたのだろう」。話が抜群にうまいので腹を抱えて大笑いしました。
 どうも品のない話になりました。それでは話を九重部屋の方に移しましょう。千代の富士の人気はすごく、海外にも多くのファンがいました。中でもシルベスター・スタローンが部屋に来た時は大変な騒ぎとなりました。内緒にはしていたのですが、近くの学生たちが勉強を放り出して見に来たり、一般の人も大勢来て警察が出動する始末でした。ハリウッドの女優さん、プロスポーツ選手も多く、枚挙にいとまがありません。
 みなさんは稽古見学でしたが、美空ひばりさんは違いました。三十数年前、5万円のディナーショーを催して評判になったことがあります。今でも5万円のショーをできる歌手はそうはいないでしょう。そのショーを友人に誘われて見に行きました。
 小さい時からひばりさんの大ファンで、映画が出ると、当時は入れ替えもなかったので一日中何回も見たものです。「鞍馬天狗 角兵衛獅子」の杉作少年、「リンゴ園の少女」、「あの丘越えて」、ほとんど見ています。
 素晴らしいショーでした。それが縁で、ひばりさんは東京場所の千秋楽の打ち上げに毎回来るようになりました。大勢のお客にもニコニコ笑って楽しそうでした。
 2回目からは自分の好きな酒を持参するようになり、腰の調子があまり良くないので座椅子も持って来ていました。持参の焼酎を飲む時には歌も歌ってくれました。一度こんな事がありました。若い力士の断髪式がありました。その時、ひばりさんが突然、「私がはなむけに歌を贈ります」と言い、アカペラで歌ってくれたのです。私も初めて聴く歌でしたが、感動的な歌でした。まげを切る力士もお客さんも全員泣きました。そして餞別(せんべつ)をそっと渡していました。
 その後も千秋楽には必ず来ていましたが、だんだんと歩くのも辛そうになってきました。酒も以前ほど飲まなくなります。そして済生会福岡総合病院に入院しました。今考えると、部屋に来るのも実は大変だったと思われます。でも奇跡的に回復し、東京ドームで不死鳥のようにカムバックを果たしたのです。私も最前席で見せてもらいましたが、圧倒的な舞台でした。激しい動きもありましたが、ひばりさんは見事に歌いきりました。最後に100メートルの花道をしっかり歩いて無事終えました。
 あの時の感動は忘れることはないでしょう。あとで聞いた話では、1曲歌うと舞台のそでのベッドに横たわり、酸素を吸入していたそうです。すごい根性です。まさに命を懸けての舞台だったのです。私は千代の富士と北勝海にひばりさんの根性を見習えと言いました。
 今年は没後31年。ひばりさんの訃報を知らされたのはちょうど名古屋場所前の七夕近くの日でした。今でも七夕飾りを見ると、ひばりさんが出てきます。ひばりさんに酒を注いでもらっている写真は私の宝物です。今年も命日が近くなりました。
 最後になりましたが、星野仙一さんも忘れがたい人でした。名古屋の錦のバーで初めて会い、翌朝、大きなマグロ1匹を持って部屋見舞いに来てくれました。やることが男らしい。仙ちゃんは酒が飲めなかったので遊んだことはありませんが、仙ちゃんが引退し、NHKのサンデースポーツのキャスターをしている時、何度か出演させてもらいました。
 熱血漢でいつも元気いっぱいだったのに、あまりにも早い死でした。最後に会ったのは大相撲放送のゲストに出てもらった時です。仙ちゃんは早くに奥さんを亡くしています。告別式の時の仙ちゃんの悲しい顔を忘れられません。
 この世界に入って六十余年、なぜか私は生き残っています。亡くなった友人の分も俺は生きます。コロナごときには負けません。みなさんもくれぐれも御身大切にお過ごしください。ではさようなら。(元横綱)
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