自動車街 新たな国道沿い 広い敷地に進出

2020年5月30日 05時00分 (7月20日 14時20分更新)
自動車販売店などが立ち並ぶ和田町の自動車街=浜松市東区で(一部画像処理)

自動車販売店などが立ち並ぶ和田町の自動車街=浜松市東区で(一部画像処理)

  • 自動車販売店などが立ち並ぶ和田町の自動車街=浜松市東区で(一部画像処理)

◆マイカーの普及、販売店が続々

 今から20年ほど前、浜松市土木部が市内の主要道路に愛称を付ける取り組みをしました。
 中郡福塚線交差点(東区植松町)から新天竜川橋(東区中野町)までの4・5キロに及ぶ国道152号が「自動車街通り」と名付けられました。その中心になるのが和田町をはじめとする自動車販売店が立ち並ぶ「自動車街」です。
 自動車街ができたのは、今の県道中野子安線が国道1号であった時にさかのぼります。交通量が増えたために道路を広げようとしても、民家や店舗・工場などが多くてできませんでした。そこで、北側の田畑が広がる地域に新しく国道を造ることにしたのです。
 子安町から中野町まで3・7キロ、幅20メートル、歩道付きの国道1号(今の国道152号)は、1959(昭和34)年4月に開通しました。浜松市の東の玄関口にふさわしい立派な道路が出来上がりました。
 当時の日本は好景気が続き、人々の生活が豊かになってきました。三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)が家庭に普及し、新三種の神器(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉の3C)が広まり始めた時期です。自動車メーカーから大衆向きの車が次々に売り出されるようになりました。
 マイカーを持つことがあこがれだった時代は、自動車販売店の多くが浜松市の中心部に店舗や展示場・工場を構えていました。自動車の大衆化が始まると、自動車販売店はより広い敷地を求めて、新しくできた国道沿いに進出しました。販売店が何店もできると、修理工場や部品会社など、自動車関連のさまざまな店舗や工場が軒を連ねるようになりました。こうして、ほんの数年で「自動車街」が完成したのです。
 国産車から輸入車まで、新車はもちろん中古車がそろい、修理や点検、部品の購入などができる自動車街は、道路が開通してから60年を過ぎた今でも、発展し続けています。

関連キーワード

PR情報