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出羽海秀光協会葬が偉大さの証し 名門再興へ古参の幕下力士排除、食事改革、稽古の常識変えた【北の富士コラム】

2020年5月28日 22時22分

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弟弟子の福の花(左)に胸を出す北の富士。新生出羽海部屋のけいこ改革で、若い力士が頭角を現した=東京都墨田区で

弟弟子の福の花(左)に胸を出す北の富士。新生出羽海部屋のけいこ改革で、若い力士が頭角を現した=東京都墨田区で

 師匠、出羽海秀光(元横綱常ノ花)の協会葬が1960(昭和35)年12月26日、盛大に執り行われた。協会の全力士が足のついている花を2人で1台ずつ持ち、両国の出羽海部屋からおよそ2キロの蔵前国技館まで整然と歩いて行く。先頭が式場の国技館に着いても、最後尾はまだ部屋の前で足踏みをしていたというのだからすごい。
 その日のために若者全員に新調の着物とはかまが用意されていた。協会葬を1回やれば、その葬儀屋さんは1年間食べられたと言われたものだ。いかに出羽海秀光が偉大な存在であったか、お分かりいただけたと思います。
 年が明けると、すぐ初場所が始まります。正月の2日間だけ休んで、初稽古が始まります。いつも協会で見る親方は三つぞろいのスーツにちょうネクタイが多かったのですが、その日は羽織はかまの正装で、緊張された表情ながら毅然(きぜん)として稽古を見ていたのは今でも忘れません。
 新親方は名門出羽海の再興には並々ならぬ覚悟と綿密な計画があったと思われます。まず一番先に手をつけたのが古参の幕下力士の存在です。稽古もしないで新弟子をこき使う、いじめる。こういうやからがいると部屋のためにならないと判断し、全員を集めて「うちの部屋は下宿屋ではない。稽古をしない者は即刻やめろ」と言い渡したのです。
 昔の古株の幕下は本当に悪いのが多かったのです。私も入門してすぐ幕下の兄弟子から呼び出されました。優しい声で「遠い北海道からよく来たね、頑張りなさい」。ここまではいいのですが「ところで餞別(せんべつ)とか、お金持ってるね」。つい「はい」と言ってしまうと、「そのお金すぐに返すから貸してくれ」。まるで魔法にかかったように腹巻きの中の金を全部持っていかれました。
 当然、返してもらえません。出羽海部屋の幕下といっただけで他の部屋の幕下はビビリあがったといいます。ほとんど十両の関取と同等のようでした。この人たちがいなくなったらどんなに楽だろうと、常々みんなで話し合っていたくらいです。
 それを親方が一番先にやってくれたのです。10名近くいた古株の兄弟子が一挙にいなくなった時は、みんなで万歳三唱して喜びました。親方のことだからただ追い出すのではなく、当座の暮らしに困らない程度のお金は渡していたと、事情をよく知る人は言ってました。
 次に手を打ったのは食事。力士は基本的には昼と夜の2食である。朝は激しい稽古の前に腹に物を入れてはいけないと言われ、昔から2食と決まっています。それを朝はバナナ、牛乳、セロリを食べるようにしてくれた。前にも述べたように昔はみんなやせてました。古い兄弟子にこき使われ気を使って太れない。まず体を大きくすること。若いわれわれは大喜びであった。バナナなんて当時は高級品である。今まで丸々1本食ったことがない。牛乳は子供のころよく飲んでいたので、それほどうれしくもなかったが、体が大きくなると我慢して飲んだらうまかった。やっぱり東京の牛乳はうまいなと思いました。でもセロリは駄目でした。変な臭いと妙な味は苦手で、うまいとお世辞にも言えなかったし、今でも嫌いであります。
 改革はまだあります。稽古が一日2度になったのは驚きました。稽古は1度と江戸時代から決まっているのに、今度の親方は何を考えているのだろう。稽古嫌いの連中はブツブツ文句を言っていたものです。改革はさらに続きます。今日はここまでにしましょう。連日つまらない話で申し訳ありません。(元横綱)

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