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「乗り越えられない壁はありません」名伯楽・中村清さん35回目の命日 陸上と選手を愛した姿は瀬古利彦さんらの中に息づく

2020年5月27日 17時52分

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バラに囲まれた中村清先生の墓碑(中央)。左は道子夫人の墓碑=青山霊園で

バラに囲まれた中村清先生の墓碑(中央)。左は道子夫人の墓碑=青山霊園で

 緊急事態宣言解除が発表された25日、見切り発車となったが、久々に都心部へと向かう電車に乗った。その日は、1985(昭和60)年、71歳で亡くなった中村清先生の35回目の命日だった。
 地下鉄の神宮外苑駅を出ると、暑い日差しが照りつけた。目指すのはおよそ500メートル先の青山霊園。広大な園の一角にある「中村清」の墓地は、すぐに分かる。咲き誇るピンクのバラが目印である。この日は、特に明るい陽の下で、バラたちが迎えてくれた。
 「去年とどこかちがう?」。そのわけはすぐに分かった。先生の墓碑の左に、小ぶりな真新しい墓碑が建ち、昨年7月に94歳で世を去った道子夫人が眠っていたのだった。
 中村先生は、一時期、低迷した早大競走部を瀬古利彦ら、多くの逸材を育てながら復活させ、隆盛を誇ったSB食品でも名選手を世に送り出した名伯楽。自らは、1936年ベルリン五輪1500メートル代表のキャリアを残す。
 「君たちが強くなれるのなら、この中村、草でも食う、泥でも食うぞ」と言い、実際にグラウンドに這いつくばって草を食いちぎり、土を口に入れるのを見たことがある。そのさまを見て、泣きだす部員たちもいた。陸上競技と、選手たちを愛するがあまりの激しさだった。
 一方で、バラを愛する人でもあった。ある日の情景を思い出す。東京・千駄ケ谷の自宅を訪ねると、壁にはうバラのツルの間から褐色の顔が現れた。当時、まだ20歳のダグラス・ワキウリ君だった。ケニアから、つてを頼って来日した青年だった。「なあに、ダグラスにバラの葉につく虫を捕ってもらっていたんだ」と、先生は言い、ダグラス君はニコリと笑った。
 墓石の前に墓碑銘がある。上から「心」「常に走る者と共にあり」「全愛」「皆を見守り導かん」と刻まれている。
 「全愛」。ソウルで生まれ、自ら貧困に耐えた人の言葉である。「苦しくかわいそうな青年たちに国境はない。ここに来たからには、ダグラスも僕の子どもだ」。先生亡き後の1988年ソウル五輪を取材した。大会最終日、銀メダルのゴールを果たしたのは、このダグラス・ワキウリだった。このレース、4位になってメダルを逸したのは中山竹通選手、そして、先輩・瀬古利彦選手は、9位に終わって入賞を逃した。結果として、日本のメダルと入賞の夢を霧散させたが、私の目に映っていたのは、あの日の虫を取る中村先生の息子だった。
 前日の24日、NHKの「サンデースポーツ」に瀬古利彦さんが出演した。80年モスクワ五輪で、日本ボイコットの犠牲になった瀬古さんは言った。「乗り越えられない壁はありません」。かつて、同じ言葉を、中村先生から何度も聞いた。「皆を見守り導かん」。先生は、瀬古さんの中でしっかり息づいている。
 本棚から、「見つける 育てる 生かす」(中村清・著)=二見書房=を引っ張り出す。まだ若かった私が、先生の言葉を文字にした1冊である。偶然だろうか。初版の発行日に1984年「5月25日」とあった。
 バラの花に囲まれた墓碑の前で、特別な感慨が胸を締め付けたのである。(満薗文博、スポーツジャーナリスト)

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