えびすの木 旅の途中の尼僧 植えた松残す

2020年5月28日 05時00分 (7月20日 14時19分更新)

◆村人育て 豊かな枝張る大木

 昔、昔の話です。
 今の植松町(浜松市東区)にあった村に、旅の途中の尼僧(女性の僧)が訪れました。
 気候が穏やかで、どこまでも田畑が広がる風景が気に入った尼僧は、この村でしばらく過ごすことにしました。
 「この地で修行をして、仏の道を極めたい」
 尼僧は、さっそく円通寺(今の東区植松町)の横に小さな庵を建てました。その日以来、毎日お経を唱え、修行を積みました。
 村人たちが庵の前を通ると、いつも尼僧の読経が聞こえてきました。
 「あの声を聞いているだけで、心が洗われる。まるで、自分まで修行しているみたいだ」。最初は遠慮がちにしていた村人たちも、次第に尼僧に声を掛けるようになりました。村人の中には、食事を差し入れたり、身の回りの世話をしたりする人も出てきました。尼僧も村人も互いに触れ合うことが楽しみになってきました。
 そんなある日のことです。村人の一人が、いつもと同じように庵に食事を届けに行くと、尼僧の姿がありません。辺りを見渡すと、「大変お世話になりました。一層修行を積むため、西国巡礼に旅立ちます」と書かれた置き手紙が残されていました。庵の脇には、1本の松の木が植えられていました。
 村人たちは、尼僧のことを思いつつ、松の木を大切に育てました。松はぐんぐん大きく育ち、天にも届く勢いだったそうです。そんな松も長い年月を経て、いつしか枯れてしまいました。懸命に世話をしていた村人たちは肩を落としましたが、根元から新しい松が芽を出し、元の松に負けないくらい大きく育ちました。横に豊かに枝を張る姿は、まるでえびす様が座ったように見え、「えびす木」と呼ばれるようになりました。茂った枝の下の日陰で旅人が休みを取ったり、子供たちが遊んだりする姿が、よく見られたそうです。2代目の松も明治時代に枯れたものの、切り株から二升臼が幾つもできた大木だったそうです。
 その後植えられた3代目の松も「えびす木」と呼ばれ、大切に育てられてきましたが、1965(昭和40)年ごろ、道路の拡張工事のため、惜しまれつつも切り倒されてしまいました。
 「えびす木」は、植松の町名や凧印「三がい松」の由来になったといわれています。
<もっと知りたい人へ>
 参考文献「わがまち文化誌 袖紫ケ森」浜松市立蒲公民館編

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