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【龍の背に乗って】波留コーチ「恩人です」近藤さんに感謝

2019年4月1日 02時00分

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試合前に亡くなった近藤昭仁さんに黙とうをささげる波留打撃コーチ

試合前に亡くなった近藤昭仁さんに黙とうをささげる波留打撃コーチ

 球場には半旗が掲げられ、DeNAの選手たちは喪章をつけて戦った。ロッテ-楽天戦でも同じく追悼試合が行われた。横浜、ロッテで監督を務めた近藤昭仁さんが27日に亡くなった。選手として通算1183安打。監督として通算302勝。球場全体で試合前に黙とうをささげた。
 「頭を下げながら『本当にありがとうございました』と声をかけました。僕にとっては恩人。この世界、使ってくれた人は恩人ですから」
 こう話したのは波留打撃コーチだった。プロ入りした1994年に、横浜を率いていたのが近藤さんだった。当時は内野手。しかし練習試合で走者と交錯し、膝を大けがした。チームはのちの「マシンガン打線」の構築に向け、過渡期にあった。ベテランを一掃し、若手を登用する。とはいえ、内野には石井琢朗、進藤達哉ら同世代のライバルがいた。故障が癒えた波留に外野コンバートを持ち掛けたのが近藤さんだった。
 「膝も不安はあるし、外野をやってみんかと。我慢してくれたと思いますよ。でも、そのおかげで試合に使ってもらえたわけですから」
 1年目には53試合に出場し、打率2割9分8厘。外野に本格挑戦した2年目は、100試合で打率3割1分と結果を残せた。近藤さんの下でプレーしたこの2年間は、チーム成績こそ振るわなかったが、谷繁元信、佐伯貴弘、鈴木尚典ら最強世代の土台がつくられた。
 「勝負には大変厳しい方でした。そういう厳しさを教え込んでもらえたのも近藤さんだったんです」
 5年間の監督のキャリアはすべてBクラスで最下位が3度。連敗記録も含めて「名将」とは呼べないだろうが、人はつくり、土は耕した。若手登用。言うは易し。だが、そこには忍耐が求められる。今の中日も辛抱強く耕し、種をまき、水をやる時期なのだろう。
 (渋谷真)

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