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週のはじめに考える 謝ろう 誤ったのなら

2022年8月7日 05時05分 (8月7日 05時05分更新)
 六月に出た一冊の漫画が話題を呼んでいます。「刑務官が明かす死刑の秘密」(竹書房)。日本の拘置所で、実際に死刑の執行にも携わる刑務官に一之瀬はちさんが取材して描く、重い内容です。
 死刑囚の首にロープの輪をかける動作と似ているため、自動車のハンドルを握れなくなり、心身を患った同僚など、想像もできない絞首刑の実情を伝えています。
 刑務官がこうした過酷な任務に就けるのも「死刑判決は裁判所の厳密で間違いない判断による」という前提があればこそでしょう。
 でも実際には、全く無実の人が死刑を宣告されるという驚くべき事態も起きています。例えば。
 今から六十年前の一九六二年。名古屋高裁で、殺人事件の再審が始まりました。再審を求めたのは一三年に現在の名古屋市内で人を殺したとして、一審で死刑判決を受けた吉田石松さん。二審で無期懲役に減刑されても、吉田さんはひたすら無実を叫び続けました。
 その声はフランスの文豪デュマの名作「巌窟王(モンテ・クリスト伯)」になぞらえて報じられ、真相究明の声が高まります。また吉田さんが罪をなすりつけられていたことも明らかになります。

死刑から完全無罪へ

 六三年、名古屋高裁は吉田さんに完全な無罪を言い渡しました。吉田さんは何度も「バンザイ」と叫びましたが、逮捕から半世紀も後の名誉回復でした=写真。
 死刑と無罪。その恐ろしい差を考えると、つい言葉を失います。吉田さんの生涯をかけた訴えは、裁判所の判断も時には大きく誤るものだと、世に示したのでした。
 ですが当時、この判決で司法が国民の信頼を失ったかといえば、それは少し違います。その理由は裁判長たちの言動にありました。
 裁判長は、当時八十三歳になっていた吉田さんに「被告人と言うに忍びず吉田翁と呼ぼう」と語りかけ、「我々の先輩が翁に対して冒した過誤をひたすら陳謝する」と謝罪しました。さらには、陪席裁判官二人と頭を下げたのです。
 この対応を、当時の新聞は特筆しました。また吉田さんの冤罪(えんざい)を報じてきた記者青山与平さんは、著書「真実は生きている」の中で閉廷後の傍聴席に「感動の拍手が起こった」と書いています。
 以来六十年近く。この裁判長の潔い姿勢がしっかり受け継がれているかといえば、少し疑問です。
 今年に入ってからも「名張毒ぶどう酒事件」「大崎事件」の再審請求が裁判所に退けられました。ともに確定判決には疑問があり、事実の再検討が必要ではないかと思われるケースですが、裁判所の「重い扉」は開かないままです。
 ごく率直に言って、刑事裁判の「疑わしきは被告人の利益に」という鉄則を司法が軽んじ、再審を拒む理由がよく分かりません。
 人を裁く裁判官もまた人であるからには、誤りもあるでしょう。他者を裁く者こそは自らや先達の過ちにも敏感であり、改めるべき点は改めてほしい、と言いたい。もし誤ったのなら謝ろう、きっとその方が信頼されますよ、と。
 こうしたことを書くのは、今の司法のあり方を批判するためだけではありません。私たちもまた、先人の過ちを素直に認められない心情を持つように思うからです。
 その端的な例は近ごろ、戦前や戦時中の日本の侵略行為を否定し「日本は悪くない」と言い募り、逆に、過去の過ちを直視しようとする人たちを「自虐的」と責める風潮が強まっていることです。
 自分の生きている国を立派だと思いたい気持ちは、本来は自然な感情でしょう。だからといって、この国の父祖が犯した過ちに目をつぶり、見過ごしていては、同じ失敗の道を歩みかねません。
 さらに最近、日本の戦争などを巡る諸外国からの批判を「不当な反日攻撃」と見なして、積極的に反撃をしようとする「歴史戦」という考えも広まっています。先月亡くなった安倍晋三元首相もまたこの言葉を使った一人でした。

「歴史戦」への違和感

 しかし、違和感が消えません。国際情勢が混迷する中で、日本も主張するべきことは主張するべきです。けれども日本が戦争をした結果、国民も諸外国の人も多くが傷つき、亡くなりました。そんな重い戦いの歴史を、新たな戦いの火種にするのは愚かなことです。
 ウクライナへのロシアの蛮行を見るにつけ「戦い」という言葉がいつか、スポーツやゲームだけの用語になるよう祈ります。戦争で殺された人のためにも「歴史戦」などと言い立てるのは慎みたいと思う敗戦の月、八月です。

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