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無傷の私、後ろめたくて 80歳過ぎ、原爆語り部に

2022年8月6日 16時00分 (8月6日 16時00分更新)
被爆体験の証言活動をする篠田恵さん=7月、広島市で

被爆体験の証言活動をする篠田恵さん=7月、広島市で

 あの日寝坊しなかったら、私も黒焦げになって死んでいた−。広島市の篠田恵さん(90)は原爆で姉や友人を失い、生き残った後ろめたさを抱えてきた。「語る資格はない」と口を閉ざしていたが、八十歳を過ぎて「語り部」に。七十七年たっても涙なしには語れない被爆体験を伝え「終わらない戦争」を生きている。
 一九四五年八月六日朝、十三歳だった篠田さんは寝坊をした。通っていた広島女子商業学校では授業はなく、連日空腹のまま、空襲に備えて家屋を壊す「建物疎開」作業に駆り出され、体力は限界だった。「遅刻は非国民だと怒られる」と思い、作業に行かず家にいた。
 「ぶわーっ」。突然、爆心地から二・八キロ離れた自宅を炎が襲った。障子はメラメラと燃え上がり、屋根に穴が開いた。母と弟はやけどを負った。
 無傷だった篠田さんは翌日、十七歳の姉を捜しに父と爆心地近くへ入った。姉の勤務先の建物は跡形もなく、残っていたのは金庫だけ。別の建物をのぞくと、いたるところに負傷者が横たわり「水ちょうだい」とうめいていた。「生きながらの地獄」に足がすくんだ。
 焼け野原で会った級友は、顔が腫れて変わり果てた姿で、すぐに誰だか分からなかった。「作業...

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