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幸せな時 作品に刻む 竹久夢二 金沢と深い縁

2022年8月6日 05時05分 (8月6日 11時52分更新)
 画家竹久夢二と金沢の縁は深い。唯一の妻で「夢二式美人」のモデルとなった岸たまきは金沢の生まれ。“永遠の恋人”笠井彦乃とは湯涌温泉を訪れ、幸せな時を作品に刻んだ。創作の源泉となった土地を「心のふるさと」と呼んで親しんだ。 (鈴木弘)

「湯の街」1917年、鉛筆、顔料、紙


 夢二は分かっているだけで三回金沢を訪れている。一回目は東京で出会ったたまきと離婚した翌年の一九一〇(明治四十三)年五月。二回目は京都で一緒に暮らし始めた彦乃と次男の不二彦を連れた一七年八月から十月にかけて。三回目は二九年二月。
 最初の旅では、古い家並みが残る長町や主計(かずえ)町、岸家の墓がある野田山、犀川べりなどを歩き、土塀や石垣、尼僧などをスケッチ。「夢二画集 旅の巻」(一〇年七月刊)に「壁をたづねて」と題し紀行文とともに収めた。
 町の風情を「薄暗い座敷の空気は、香の煙をたちこめて、すべての色彩をうつとりと見せる」とたたえ、「京都女が能の面なら、金沢の女は内裏雛(ひな)といはふ。現実的な京都の女よりは、夢みてゐる加賀の女が好い」とつづった。

スケッチブック、1917年、「浅野川より上へ」の走り書きがある


 二回目の訪問は、彦乃との新婚旅行とも言うべき旅で、不二彦の病気・入院に見舞われながらも、知人らの協力もあり、金沢で画会も成功させた。「夢二日記」によると、女性客を中心に二日で二千人を超える人気ぶりだったという。
 この時のスケッチ帳が、金沢湯涌夢二館に収蔵されている。「1917・8・14」の日付がある一枚には、兼六園の眺望台から右手に医王山を望む雄大なパノラマが見開きで描かれている。左側に小さく見える着物姿の三人は夢二や彦乃たちとみられる。
 太田昌子館長によると、独学の道を歩んだ夢二は、スケッチを欠かさず、黙々とデッサン力を磨いた。五十年近い生涯で残したスケッチ帳は五百冊を超える。この画面からは「柔らかい線で描いた雲の表現などから爽快な気分や金沢への愛が感じられます」。

兼六園からの眺めを描いたスケッチブック、1917年


湯涌は3週間滞在

 約三週間滞在した湯涌。「湯の街」は、温泉街を背に手すりにもたれる彦乃を描いた。逆光の中、彦乃の顔は白っぽく沈んで見える。自分を溺愛する父親に反対されながらも、夢二への思いは止まらない。その苦悩が愁いを帯びた表情ににじむようだ。
 女性の感情描写が得意だった夢二だが、この一枚は会心の出来だったらしく、日記の中でも「好いのが出来た」と満足げに記している。「自己肯定の少ない夢二が自分をほめた珍しい絵。当館の代表作です」と、太田館長は語る。
 「湯涌なる山ふところの小春日に目閉ぢ死なむときみのいふなり」
 「ゆく秋の渓(たに)の沈黙(しじま)のきはまりてしづかにも我等脣(われらくちびる)をよす」
 引き離され、病に伏す彦乃に向け、夢二は歌集「山へよする」(一九年二月刊)で、あふれる思いを歌にこめた。夢二は当時、三十四歳。欧米への外遊の夢を果たすのは、それから十二年後のことになる。

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