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中日は“捕手”として見た…ヤクルト村上の誰も予測できなかった成長曲線 荒木コーチ「え、これがあの時の少年か」

2022年8月3日 10時04分

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2018年9月16日、プロ1号を放ったヤクルト・村上=神宮球場で

2018年9月16日、プロ1号を放ったヤクルト・村上=神宮球場で

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇2日 ヤクルト5―0中日(神宮)
 まだ空が明るかったプロ野球タイ、そして薄暮の新。歴史が塗り替えられた瞬間を見て、僕はつい数時間前の会話を思い出していた。
 「覚えていたといえばそうですが、最初からわかっていたわけじゃないんです。教えられて初めて、え、これがあの時の体の大きな少年なのかってわかったんです」
 荒木内野守備走塁コーチが回想した「少年」こそが、村上である。同郷。村上が所属したシニアリーグの監督が、荒木の球友の父だったという縁もあり、中学生だった村上を指導したことがある。
 4年前の9月。ルーキーの村上がデビュー直後、僕はこの話をコラムで書いている。荒木はこの数日後に引退を表明。2人の肥後もっこすは、久しぶりに再会し、数試合だけ1軍の同じグラウンドでプレーした。ひときわ大きな体格と速いスイング。才能と可能性は大いに感じたが、教えたのは主に守備。そもそも、あの「少年」と村上が同一人物だとわかったのは、この対戦の直前に教えられたからだった。
 人生は見通せない。高校通算52発のスラッガーを、中日は捕手として見た。長年の懸案だったからだ。捕手としては村上より中村奨(広陵高、現広島)を評価した。その判断を責めたいのではない。村上がこうなるとわかっていれば、全球団が1位指名したはずだ。打者として、少なくとも1番評価の球団はなかった。1位だが、競合したのはいずれも清宮を外した3球団だった。
 誰も予測できなかった、太く、急角度の成長曲線を描いた。1年目は打率8分3厘。翌年に36発を打ち、3年後に金メダリストになり、4年後は球史を塗り替えた。当時の僕は「大樹に育つ。その可能性を感じさせるたたずまいだった」と書いてはいるが、もちろん見通せていたわけがない。
 体格と速いスイングなら、過去にも現在にも並び立つ素材はいた。村上だけが持つ何かがあるのか。そこがわかれば、他人の未来をもう少し見通せるはず。だけど、わからないからこそ、人生はおもしろいのか…。

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