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<戦争遺跡を歩く> 戦車壕 浜松・愛宕山に今も

2022年8月3日 05時05分 (8月3日 05時07分更新)
愛宕山に掘られた戦車壕と本土決戦の関係を語る大野勝美さん=浜松市北区三ケ日町で

愛宕山に掘られた戦車壕と本土決戦の関係を語る大野勝美さん=浜松市北区三ケ日町で

  • 愛宕山に掘られた戦車壕と本土決戦の関係を語る大野勝美さん=浜松市北区三ケ日町で
 七十七年前に終わった太平洋戦争の遺跡が、県内に点在している。近くで見守る人たちも健在だ。ロシアのウクライナ侵攻で殺伐とした空気が立ち込める今、記者が県内の遺跡を巡り、戦争の傷痕に目を凝らし、その発する声に耳を傾けた。
 山頂に都筑神社が鎮座する浜松市北区三ケ日町の愛宕山。郷土史家の大野勝美さん(71)=同町=は、参道の階段をそれ、山林の茂みに分け入った。案内してくれた場所は、ちょうど車一台分が収まるように山の斜面がえぐられていた。「米軍の遠州灘への侵攻を想定して、日本軍はここに戦車を隠していました」
 太平洋戦争の末期、日本は本土決戦の準備を進めた。上陸の可能性が高いと判断したのが、東京と目と鼻の先にある九十九里浜と相模湾、沖縄からの侵攻が容易な九州南部、そして、軍需産業が集積していた名古屋に近い遠州灘だった。
 一九四五年に入り、静岡県西部や愛知県東部で防備が固められた。一帯の中心に位置する浜松市北区引佐町には第百四十三師団(別名・護古師団)、三ケ日町には独立戦車第八旅団の司令部がそれぞれ置かれた。同時に、戦車を隠すための塹壕(ざんごう)が自然の地形を利用してあちこちに掘られた。
 愛宕山には神社の参道の西側に三カ所が残っている。大野さんによると、各地の戦車壕が自然崩落や土地開発で次第に消える中、良好な状態で残っている数少ない遺構だという。

◆敗戦決定的も、本土決戦に備え

 大野さんはほぼ毎年、地元の三ケ日東小の児童を案内してきた。「敗戦が決定的になってなお、軍部は本土決戦の選択肢を捨てられなかった。この場所は、戦争の不合理さをよく教えてくれる」。大野さんの言葉を聞いて、斜面のくぼみが不気味に感じられた。 (小佐野慧太)

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