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【石川】中能登の先駆者 タスキは永遠に 全中駅伝元主将 25歳山口さん急逝

2022年8月1日 05時05分 (8月1日 10時01分更新)
初めての全国の舞台で力走する山口亜人羅さんの写真(2011年、山口県)などが飾られた自宅=石川県中能登町金丸で

初めての全国の舞台で力走する山口亜人羅さんの写真(2011年、山口県)などが飾られた自宅=石川県中能登町金丸で

無名の旧鹿西中けん引 進学後病に

 昨年十二月の全国中学校駅伝大会で、石川県中能登町の中能登中が男女とも出場し、男子は、これまでの県勢最高となる三位に輝いた。全国の強豪とは言えなかった町の歴史を塗り替える快挙。始まりは十年前にさかのぼる。町としての初出場は二〇一一年、統合前の旧鹿西(ろくせい)中。当時の主将でチームを引っ張った山口亜人羅(あとら)さんが今年三月、二十五歳で亡くなった。当時を知るコーチや同級生が躍進のきっかけをつくった功績をしのぶ。(大野沙羅)
 山口さんは小学校高学年で陸上を始め、七尾市のクラブチーム・城山ACに所属。県内外のロードレースなどで何度も優勝した。母の華恵さん(55)は「走るのが好きだった。速いもんで気持ち良かったんだろうね」と遺影を眺める。当時の鹿西中に陸上部はなかった。後に鹿西中を含む三校が統合した中能登中の開校時(一三年)から陸上部コーチとなる守山大介さん(43)に、二年時からマンツーマン指導を受けた。
 「初めて本気で全国を目指そうと思った」。守山さんは一人で練習する山口さんのため、他部から人を集めた即席チームを結成。県中学校駅伝大会に出場すると予想外に三位入賞した。「優勝できるんじゃないか」。翌年は経験を積むため、県外レースに参加。山口さんは三年時の五月、3000メートル走で9分3秒と自己ベストを更新した。
 夏休みは毎朝、標高四六一メートルの碁石ケ峰山頂まで走り、夕方まで練習。現在より練習量は多かったが、当時はグラウンドに空きスペースがなく、道路を走った。山口さんは休日も人一倍練習。サッカー部から駅伝チームに加わり、唯一の同学年として競った三浦尚也さん(26)は「ストイックで孤高の存在だった」と振り返る。鹿西中はその年の県駅伝で優勝した。全国初舞台は二十六位で、翌年も後輩たちが全国の舞台に立った。中能登中としては、男子が一九年に初出場した。「全国を目指すのが身近になったのは、彼(山口さん)の頑張りがタスキのようにつながっているんじゃないか」と守山さんは語る。
 山口さんは駅伝の強豪、遊学館高校(金沢市)に進学。だが、一年足らずで尿にタンパクがたくさん出てしまうため、血液中のタンパクが減って体がむくむ「ネフローゼ症候群」を発症した。激しい運動は禁止され、競技の道を断たれ、二年時に鹿西高に編入。富山大に進み、軽い運動ができるようになって全能登駅伝などにも出場した。だが、会社員だったこの三月、自宅で病状が悪化し、急逝した。
 「彼らの時代に全国の扉を切り開かなかったら、全中三位もなかったかもしれない」と守山さん。昨年のチームの3000メートル走の平均タイム(9分1秒)は当時、一番速かった山口さんも及ばない。三浦さんは「今の中学生はすごすぎる」と十年で進化した後輩たちを認める。一方で「俺らが元祖。パイオニアだ」と、小中高時代、良きライバルとして山口さんと競い合ってきた時を思う。

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