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ゼロ封負け球団ワースト更新の危機…中日はなぜ“無抵抗の試合”が多いのか 組織あげて突き詰めねばならない現実

2022年7月4日 11時30分

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ヒーローインタビューで涙ぐむ阪神・才木

ヒーローインタビューで涙ぐむ阪神・才木

◇渋谷真コラム・龍の背に乗って ◇3日 中日0―3阪神(バンテリンドームナゴヤ)
 1軍登板が3年2カ月ぶり。早々に「すごくバテていました」と明かした才木に、涙の白星を献上するどころか、零敗するとは…。今季15度目は、ついに阪神に並び両リーグワーストとなった。最少はヤクルトの4。なぜあと一本が打てないのか。どうして無抵抗の試合が多いのか。フロント、首脳陣、選手。組織をあげて突き詰めなければならない現実である。
 球団最多記録をつくったシーズンの話を書く。初の日本一から2年後の1956年。野口明監督の下、130試合で24度の零敗を喫した。前年からの起用法を巡って、初代ミスタードラゴンズの西沢道夫が雲隠れ。引退騒動に発展した。周囲の説得で翻意し、助監督兼任となったものの禍根を残した。つまり世代交代は待ったなしの状況だった。
 それでも74勝56敗の3位。広島(45勝82敗3分け)、大洋(43勝87敗)という2弱がいたからだが、若い芽は投打に伸びた。投手では3年目の大矢根博臣、2年目の中山俊丈がそろって20勝。野手では2年目の中利夫、3年目の岡嶋博治を1、2番に抜てきした。打率は中が2割6分2厘、岡嶋が2割4分7厘。投手ほどすぐに結果を残したわけではないが、岡嶋は58、59年に、中は60年に盗塁王のタイトルを獲得した。チーム打率2割2分8厘(リーグ2位!)、先の2弱よりも少ない52本塁打(同6位)。迫力不足の攻撃陣にまいた機動力という名の種は、数年かけて花を咲かせ、実をつけたのだ。
 野口監督は戦前から投手として最多勝、野手として打点王に輝いた職業野球のパイオニア。野口4兄弟の長兄でもある。人望が厚かった天知俊一が突如辞任し、後任を引き受けた。混乱の真っただ中での改革断行は、苦労の連続だったことだろう。それでも中と岡嶋を我慢して使い、育て上げた。
 66年ぶりの球団記録更新へ、止まらぬ立浪竜。満塁機に打ち上げ、岡林は打席で立ち尽くした。鵜飼やブライトは炎天下の2軍戦でもがいている。彼らが育ってさえくれるなら、新記録など安いものだ。

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