沖縄戦生き延びた93歳 ウクライナ情勢に記憶重ねる
2022年6月24日 05時05分 (6月24日 05時05分更新)
沖縄県民の四人に一人が犠牲になった沖縄戦は二十三日、組織的な戦闘の終結から七十七年がたった。この間、世界各地で戦争が絶えず、今はロシアのウクライナ侵攻で多くの命が失われている。七月十日投開票の参院選では敵基地攻撃能力保有など日本の防衛力強化が争点に浮上しているが、那覇市の瀬名波栄喜(せなはえいき)さん(93)は戦禍の記憶をたどり、「戦で平和を取り戻すことはできない。戦争は本当にばかげている」と語る。(山口哲人)
軍人の父に会ったのは、一九四五年四月の米軍上陸前が最後だった。一歳だった弟も失った。路上に転がる無数の亡きがらは今も目に焼き付いている。
瀬名波さんは沖縄戦を生き延び、十六歳で終戦を迎えた。その前年、現在の嘉手納(かでな)町にあった県立農林学校に入学。後に米軍が上陸する読谷(よみたん)村などで、高射砲の砲台整備や戦車を落とす深さ五メートルほどの「戦車壕(ごう)」構築などに動員された。
米軍の艦砲射撃や空襲が激しさを増す中、瀬名波さんは旧久志村(名護市東部)の実家から家族らと近くの山中に身を潜めた。容赦ない攻撃は続き、家族らは全員投降。軍国少年だったという瀬名波さんだけは「生き...
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