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北鉄能登線廃線50年の軌跡 富来郷土史研 長さんが講演

2022年6月24日 05時05分 (6月24日 10時13分更新)
北陸鉄道能登線の廃線から50年の歴史を振り返る長幸雄さん=志賀町富来活性化センターで

北陸鉄道能登線の廃線から50年の歴史を振り返る長幸雄さん=志賀町富来活性化センターで

  • 北陸鉄道能登線の廃線から50年の歴史を振り返る長幸雄さん=志賀町富来活性化センターで
  • 能登鉄道全線開通に尽力した中谷秀一氏の銅像=志賀町米町で
  • 北陸鉄道能登線の終点・三明駅の跡地=志賀町三明で

開通尽力 中谷氏、終点三明駅「人々の魂 今も」

 羽咋市の羽咋駅から三明駅(志賀町)までを鉄路で結び、多くの人々が利用した北陸鉄道能登線は二十五日で、全線廃線から五十年の節目を迎える。志賀町の富来郷土史研究会は二十三日、同町富来活性化センターで、半世紀の歴史を振り返る研修会を開いた。 (大野沙羅)
 北鉄能登線は、前身の能登鉄道が一九二七年に国鉄七尾線羽咋駅から三明駅まで全線二五・五キロを開通。当初は旧富来町出身の県議、葛城忠寸計(かつらぎちゅうすけ)氏らが呼びかけ、富山県氷見市から輪島市までを外浦伝いに結ぶ壮大な計画だった。ところが先に七尾、穴水経由で輪島まで鉄道が延びたため、資金不足もあり、三明駅が終点となった。会社は四三年に北鉄に統合された。
 六一年には能登半島を舞台にした松本清張の小説「ゼロの焦点」が映画化。空前の能登観光ブームもあり、一時は作中に登場する三明駅や鉄道目当ての観光客らでにぎわった。しかし車の普及や不況などの影響で乗客は減り、路線の採算性が悪化。七二年六月、全線廃線、廃駅となった。
 研修会では副会長の長(ちょう)幸雄さん(73)=同町大島=が講師を務め、会員ら九人が参加。能登住民の夢として敷設を計画した葛城氏や、高浜−三明間の難しい鉄橋工事をやり遂げた能登鉄道社長(北鉄能登支社長)で元上熊野村長の中谷秀一氏らの活躍や苦労を新聞記事や町史を基に振り返った。
 現在、路線跡には駅の跡地を示し石碑、中谷氏の像などが立っていて往時の面影を伝えている。長さんは「廃線から五十年たったが(開通に尽力した)人々の魂は今も生きているように思う。誰かが語り継ぐべきだ」と語った。

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